枯山水 [社寺・和菓子]
深緑の東福寺とは対照的に今日は枯山水の東福寺。
開山堂や方丈の枯山水です。
枯山水は白砂や小石を水面に見立てて庭をつくる。
本物の水ではないので、想像力をかき立てられる。
これだけの形をつくるのは大変だろうな。
それも修行の一環なんだろうけど。
手順を間違えると戻れなくなる。
いらぬ心配か。
東福寺をみていると水面や雲などのモチーフが多い。
「水五訓の教え」というのが頭に浮かんだ。
水は激流になったり、急流になったり、そして穏やかにゆったりと流れる。
そのときの自分の与えられた状況や環境によって
自分の置き方を変えているものである。
まさに、自然体といえるのである。
禅の世界では『水を人の生き方』として教え、水五訓がある。
・「自ら活動して他を動かしむるは水なり」
・「常に己の進路を求めて止まらざるは水なり」
・「障害に逢いて激しく勢力を倍加するは水なり」
・「自ら潔くして他の汚濁を洗い、清濁を合わせいるる量あるは水なり」
・「洋々といして、大洋を充たし、発には蒸気となり、雪と変じ、霰と化し、
凝しては玲瓏たる鏡となり、而かも其性を失わざるは水なり」
「岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる」
水は高きから低きに無心にさらさらと流れていく。
前途に如何(いか)なる障害物があろうとも、自在に流れを変え、
信じられないような大きな力を発揮して、岩をも削り取って流れて行く。
水の如くに生きれば、まさに禅の悟りに通じる。
水商売の如く生きても、悟りには通じないだろうな。
↑紫野源水「藤の花」
↑きんとん製、小豆粒あん
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