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蓮葉で包んだ鶏粽が食べたくなってきた! [社寺]

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この丸まった蓮の葉、千日回峰行をする阿闍梨(あじゃり)さんの蓮華笠を思いだす。
蓮華笠は、ヒノキを網代(あじろ)に編んだ笠で
左右から巻き上げているので流線形となっているんです。
写真はないのですが、ニュースとかでご覧になった方もおられると思います。

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あの形がこの蓮の葉です。
水面から出たばかりのまだ丸まっているハス(蓮)の葉を象っている。
ある阿闍梨曰く
「私は、まだ不動明王というものの、いちばん下っ端の蓴菜(じゅんさい)
 みたいな存在だから、私らはこれを絶対開いちゃならぬ」

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「泥中之蓮 (でいちゅうのはす)」という好きな言葉がある。
意味は「世の中の汚れに染まらないで清く生きること」
蓮の花は泥の中から咲くにも関わらず、白くきれいな事から、
汚れた環境の中にいてもその影響を受けることなく「けがれなさ」を保つことをいう。

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でも最近考える。
大体「汚れ」や「清い」などという概念がちょっと古くさいのんと違うかな。

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そこで「泥中有宇宙」という言葉を考えた。
「宇」は「天地四方上下」(つまり上下前後左右、三次元空間全体)、
ちなみに「宇宙」の「宙」は「往古来今」(つまり過去・現在・未来、時間全体)を意味し、「宇宙」で時空(時間と空間)の全体を意味する。
また「宇」は「天」、「宙」は「地」を意味し、「宇宙」で「天地」のことを表す。

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泥のような状態は、命(いのち)の素が密集しているスープというかエネルギーのようなもの。
そのエネルギーは、きれいもきたないもない。

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だから水面に出ている蓮の花もエネルギーのひとつの形態。
蓮の花も泥も同じエネルギーが三次元に顕れているだけ。
だから両方美しい。(だから泥パックというのをするのかな・・・)
泥もなければ花も咲かない。
どちらも「実相」なのである。
このあたりの話になると、不動明王さんの守備範囲外やね。

※今日の記事、タイトルと内容と写真があってないし・・・。

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 社寺
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はまひるがお

最初の写真を見て、私も阿闍梨さんの帽子を思い出しました。蓮華笠というのですか。よい勉強になりました。
by はまひるがお (2010-06-23 17:35) 

京男

>はまひるがおさん、こんばんは。
見事にそっくりでしょ。先日『行とは何か』という本を読んでかなり詳しくなりました。おすそ分けです。
by 京男 (2010-06-23 17:48) 

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