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京都でどのぐらいの神社で茅の輪があったんやろ・・・ [社寺・和菓子]

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昨日の記事の新日吉神社の後、女坂を東大路におりていき
東福寺の方へ歩いて行く。
すると西側に大きな樟(くすのき)が見えてきます。

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ここが新熊野神社。
平安時代末期永暦元年(1160)、後白河上皇によって創建されたそうです。
その時に紀州(いまの和歌山県)の熊野から土砂、材木をこの地に運び
熊野になぞられて、つくらはったそうです。
京男が育った東大路丸太町にも熊野神社があります。
あそこは、弘仁二年(811)だから古いのはあちらか。
それと哲学の道の終点若王子橋のすぐ近くにある熊野若王子で
京都熊野三山ということになります。

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最初の写真の大樟は、その時、国家鎮護と万民福祉とを誓願され
お手植されたのがこの大樟なんだそうです。
その時代からずっと京都を見ているなんてすごいことです。

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さて、本殿の前に茅の輪がつくられていました。
ここの茅の輪も立派です。

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30日は夕方に夏越の祓と茅の輪くぐりの行事をされたと思います。
私はちょっと用事で行けなかった残念。
ここも確か自分で茅の輪のお守りを手作りできる筈です。

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大樟は、「樟大権現」「樟龍弁財天」として多くの人々に信仰されています。
大権現とは熊野の神の化身(仮の姿)、樟龍弁財天とは弁財天(仏)の化身という意味です。
神道的なものと仏教的なものが混じっているのは、神仏習合的な意味合いです。
新熊野神社地図

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↑長久堂「雪渓」
夏越祓の時に御所では冬の間に保存した氷を冬の間に氷室に貯蔵し
この時期に氷をだして、甘葛(あまずら、あまちゃずる)を煮詰めた甘いシロップをかけて食べていたそうです。
まあ、かき氷みたいなものかな。
この和菓子はそれをイメージしたものかな。

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↑こなし(山芋入り)赤ごしあん

Twitter→@kyo_otoko
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