沙羅双樹 [風景・和菓子]
今日の記事は、生菓子のタイトル「沙羅の花」に因んでおります。
「沙羅の花」とは「沙羅双樹の花」のこと。
お聞きになったことはあるでしょ。
『平家物語』の冒頭に出て来ます。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす
奢れる者も久しからず ただ春の夜の夢の如し
猛き人もついには滅びぬ ひとえに風の前の塵に同じ」
祗園精舎って京都の八坂神社にはないですよ。
でもちょっと関係あるかも。
祇園精舎の守護神が牛頭天王なんです。もちろん、インドでの話。
日本に仏教が入って来た時、こういう守護神もいっしょに輸入された。
牛頭天王の別名が「祗園天神」。祇園天神を祀る神社を祇園神社(八坂神社が一般的。天王神社などとも)という。八坂神社の祭礼を祇園祭という。総本社の京都八坂神社の門前町祇園は、花街として有名なのはご存知ですよね。
祗園精舎は、正式名「祇樹給孤独園精舎」といい、インドにありました。お釈迦さんが説法をしてはった場所のことです。
↑鶴屋吉信「沙羅の花」
お釈迦さんが80歳で亡くなったのです。食中毒※で苦しんで亡くなった。2本の木の間に横たわったそうなんです。その2本の木が沙羅双樹。涅槃状態にお釈迦さんがならはった時、その木が一斉に薄い黄色の花が白に変わったそうです。
最後の煩悩がとれた状態をあらわしているのかも。
ただ沙羅双樹は、熱帯性の植物で日本にはない。
日本では、夏椿を沙羅双樹というようになった。
※お釈迦さんでも食中毒になるんだ!と思う人がいるかもね。僧侶は食べ物を一般の人から托鉢で生きています。だから当時の肉のカレーでも食べないといけません。豆のカレーだけとは限らないしね。その日の食べ物に事欠く人でもお坊さんが托鉢にこられたら自分たちの食事も差し出したりします。たとえ悪くなっているものでも食べないわけにいかないのです。きっとそういう状態で食中毒になったのでしょうね。徳川家康が天ぷらで食中毒になったのと事情が違う。
↑焼皮、粒あん
なぜか?
朝、咲いて、夕方には花が落ちる。しかも椿は花全体が落ちる。
人生の儚さを表現している。
『平家物語』の冒頭の一節も人の儚さの物語という意味で沙羅双樹が出てくるのです。
ここまでわかると『平家物語』を読みたくなるでしょ。
私は、読んでないけど・・・。
※本日の花の写真は、東林院の沙羅双樹です。
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
2016-07-12 04:56
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コメント(2)
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昔の方って結構寿命が短いという印象がある中でお釈迦様は80歳まで生きられたのですね。初めて知りました。^^;
by ソニックマイヅル (2016-07-12 09:15)
>ソニックマイヅルさん、こんばんは。
そうですよね。当時の80だと凄いことでしょうね。
宗教系の学校でも行かないかぎり、わかりません。
by 京男 (2016-07-12 21:34)