SSブログ

清め [社寺]

DSC01669.jpg

まだ新熊野神社の左義長の写真が続きます。
まだ数日点火までいきません。すんません。

DSC01606.JPG

神社の行事をみていると「清め」の作業が多いですね。
昔は、疫病が流行るのは「気枯れ・穢れ」が原因だと恐れられていた。
もうひたすら、自分自身のお清めをすることで、疫病や災難から守ろうとした。

DSC01696.JPG

清めるために、言葉、色、形、素材、所作を使う。
塩や形(正方形・黄金比)や言葉(祝詞)そして所作をする。
塩なんかは万能ですね。相撲なんかは、仕合前に塩を撒く。
商売の場合は、盛り塩をしたりする。

DSC01703.JPG

結界を張って、その内側に神様をご降臨させたりする。
左義長の場合、修験道的にも結界を張っていた。
神道と修験道が合体した結界作りでした。
本当は、陰陽師も来るといいのだろうけど、最近はあまり見かけませんね。陰陽師。

DSC01709.JPG

今回の修験道では、かなり簡略方式だったかも。
本当は、6の方向で結界をはらないといけないのですが・・・。
流派によって違うのかな?

DSC01685.JPG

もちろん、参加されている人の穢れも清められていました。
人間は、生きているだけで穢れるのだろうか?
まあ、欲望のままに生きているから仕方ないのかな?
各々が欲望や感情を完全に制御できているなら穢れないでしょう。
この制御の加減がものすごく難しいことなんだろう。
結果的に病気や不運になることが多い。
だから、病気や不運は、それを教えてくれているのかも。
なら「病気」や「不運」に感謝し、生活を正せば解決する?

DSC01692.JPG

インフルエンザが流行っているそうです。
ひょっとして手洗いやウガイより、自分の中の穢れを清めた方がいいのかも。
でも病院に行ったら、ドクターが「御札」や「お守り」をくれはったら、納得できないだろうなぁ・・・。

DSC01695.JPG

仏教的に考えると、穢れなんていいませんね。
この行事では、仏教のおっさんは、参加していません。
穢れについて、どう考えたはるんやろ?
葬式の後、「清めの塩」を配るとか、配らないという問題も昨今できています。
「死」を仏教では、穢れとみていないと思います。
だから「清めの塩」は不要なんだそうです。
単なるコスト削減だけなのかも。
これはようわかりません。
日本の仏教では、道教的、儒教的、ヒンズー教的なものが習合されていますからね。
もうわけがわからず、一つの体系のようになっている。
それに拝金教的な要素が色濃いですかれね。
だから宗教はあまりよく思われていないのかも。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
タグ:社寺 京都
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

左義長火とつける ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。