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これがプールだった? [風景]

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↑平安神宮大鳥居(へいあんじんぐうおおとりい)

この大鳥居、1928年(昭和3年)に昭和天皇御大礼の記念事業として、大鳥居建設計画を開始されたそうです。
それほど古いものでないからあまりありがたくないかも。
そういえば平安神宮だって、1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画されたものなんです。
博覧会用として当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に場所を移して1893年(明治26年)9月3日に地鎮祭が執り行われた。社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を模し、実物の8分の5の規模で復元されて1895年(明治28年)に完成した。
だから歴史は浅いし、あまり霊験あらたかでもない。

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ここは、疎水から発する白川の始まり地点。
向こうに平安神宮の大鳥居。これで場所がわかるでしょ。

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この場所、私が小学校の時、プールだったのです。
昔は、こんな程度でした。
小さい子は、ここで泳いでいました。
中学ぐらいになると疎水の方で泳いでいた。
インクラインでもよく泳いだな。
毎年何人か溺れて死んだ。

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でもこの白川児童プール?は、安全でした。
もちろん、川をせき止めただけなので、水は美しくない。
南禅寺プールや若王子プールも水が緑色だった。
小学校から行くプールは、南禅寺プールだった。

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友人と行くのは若王子プール。
潜ると魚が泳いでいたものです。
中学ぐらいになると、蹴上の都ホテルのプールや八瀬遊園のプールに行った。
子供同士で随分遠い所に遊びに行っていたものです。
最近の子供は、そんなことはしないだろうな。

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↑ずっと向こうに正装した長男夫婦がおります。(笑)

美術館の池にも毎日のように遊びに行っていた。
南禅寺なんかもよく行った。
新島襄の墓なんかにもよく行きました。
吉山、左大文字も遊び場所でした。
真如堂や黒谷もそうです。

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タグ:風景 京都
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