SSブログ

天邪鬼 [社寺]

社寺に行くと面白い形が目に飛び込んでくる。
行った時によって気になる形が違う。
しっかり調べるときっと面白いだろうな。

DSC07951.jpg
↑西本願寺旧仏飯所、仏飯の炊事を行っていた場所

DSC07952.jpg

向こうに見える建物は、西本願寺伝道院。
イスラムの玉葱ドームのような建物。
あの建物、近寄って撮影したいけど、あのあたりの電線がすごくてなかなかスッキリ撮れません。

DSC07955.jpg
↑西本願寺伝道院

DSC07969.jpg
↑天水受け

私は、天水受けを支える二頭身大の愛嬌ある石像が好きです。
東寺で言ったら贔屓かな?
西本願寺のは、天邪鬼(あまのじゃく)です。

DSC07958.jpg

仏教では人間の煩悩を表す象徴として、四天王や執金剛神に踏みつけられている悪鬼、また四天王の一である毘沙門天像の鎧の腹部にある鬼面とも称されるが、これは鬼面の鬼が中国の河伯(かはく)という水鬼に由来するものであり、同じく中国の水鬼である海若(かいじゃく)が「あまのじゃく」と訓読されるので、日本古来の天邪鬼と習合され、足下の鬼類をも指して言うようになった。

DSC07961.jpg

日本古来の天邪鬼は、記紀にある天稚彦(アメノワカヒコ)や女神天探女(アメノサグメ)に由来する。天稚彦は葦原中国を平定するために天照大神によって遣わされたが、務めを忘れて大国主神の娘を妻として8年も経って戻らなかった。そこで次に雉名鳴女を使者として天稚彦の下へ遣わすが、天稚彦は仕えていた天探女から告げられて雉名鳴女を矢で射殺する。しかし、その矢が天から射返され、天稚彦自身も死んでしまう。

DSC07963.jpg

天探女はその名が表すように、天の動きや未来、人の心などを探ることができるシャーマン的な存在とされており、この説話が後に、人の心を読み取って反対に悪戯をしかける小鬼へと変化していった。本来、天探女は悪者ではなかったが天稚彦に告げ口をしたということから、天の邪魔をする鬼、つまり天邪鬼となったと言われる。また、「天稚彦」は「天若彦」や「天若日子」とも書かれるため、仏教また中国由来の「海若」と習合されるようになったものと考えられている。

DSC07966.jpg

「人の心を見計らって悪戯をしかける子鬼」とされることから転じて、現代では「他者(多数派)の思想・言動に逆らうような言動をする"ひねくれ者"、"つむじ曲がり"」を指して、「あまのじゃく(な人)」と称されるようになった。
京男は小さい時から天邪鬼的だったかも。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 社寺
nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

新緑の水吹き銀杏石製ベンチ ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。