龍池山大雲院跡 [社寺]
本日の内容は、8月26日「残り蓮」に出てくる智積院明王殿の建物が引っ越しする前の場所に写真を撮りに行ったもの。
といっても毎日行っているような場所です。
↑この通りが寺町通、元は電気の街といわれ電気製品の店が並んでいた。いまはヨドバシカメラやビッグカメラが出来て、滅んでしまった。
ここは、四条通寺町を下がった(南に行く)所にある。
左隅に永正亭があります。
いまは、細長くなった敷地に火除天満宮があります。
火除天満宮、元は大雲院の鎮守社だった。お寺は移動し、神社だけが残ったという不思議な状態になっている。
ここの近くに錦天満宮もあります。
学問の神様は、人気がありますね。
大雲院は、現在、八坂神社の南側にあるのです。
それも写真を撮ってきました。
また、ご紹介します。
↑龍池山大雲院跡の石碑
(書き写しておきます)
龍池山大雲院跡
大雲院は天正15年(1587)
織田信長・信忠父子の菩提を弔
うため正親町天皇の勅命により
開山貞安上人に御池御所(烏丸
二条)を賜わり信忠公の法名に
因んで大雲院と号した。
豊臣秀吉は寺地の狭隘なるを
見て同18年当地に移し寺観は
面目を一新した。昭和48年
寺運の興隆を鑑みて、東山山麓
真葛ヶ原の勝地に移転した。
いまは、鰻の寝床のような状態になっている。
こういうのも面白いかも。
でも昔は、大きな敷地だったのでしょうね。
すごくコンパクトだけど、これでもいいのかも。
場所も便利な場所だしね。
人も少ないから、こういう所でお願いしたら、御利益があるかも・・・。
小さいけど牛さんもいます。
錦天満宮より俗っぽくないしね。
ここは、高島屋の駐車場の道です。
よう通る道です。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
といっても毎日行っているような場所です。
↑この通りが寺町通、元は電気の街といわれ電気製品の店が並んでいた。いまはヨドバシカメラやビッグカメラが出来て、滅んでしまった。
ここは、四条通寺町を下がった(南に行く)所にある。
左隅に永正亭があります。
いまは、細長くなった敷地に火除天満宮があります。
火除天満宮、元は大雲院の鎮守社だった。お寺は移動し、神社だけが残ったという不思議な状態になっている。
ここの近くに錦天満宮もあります。
学問の神様は、人気がありますね。
大雲院は、現在、八坂神社の南側にあるのです。
それも写真を撮ってきました。
また、ご紹介します。
↑龍池山大雲院跡の石碑
(書き写しておきます)
龍池山大雲院跡
大雲院は天正15年(1587)
織田信長・信忠父子の菩提を弔
うため正親町天皇の勅命により
開山貞安上人に御池御所(烏丸
二条)を賜わり信忠公の法名に
因んで大雲院と号した。
豊臣秀吉は寺地の狭隘なるを
見て同18年当地に移し寺観は
面目を一新した。昭和48年
寺運の興隆を鑑みて、東山山麓
真葛ヶ原の勝地に移転した。
いまは、鰻の寝床のような状態になっている。
こういうのも面白いかも。
でも昔は、大きな敷地だったのでしょうね。
すごくコンパクトだけど、これでもいいのかも。
場所も便利な場所だしね。
人も少ないから、こういう所でお願いしたら、御利益があるかも・・・。
小さいけど牛さんもいます。
錦天満宮より俗っぽくないしね。
ここは、高島屋の駐車場の道です。
よう通る道です。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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