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イノシシさんがいっぱい [社寺]

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ここは、建仁寺禅居庵。建仁寺の塔頭です。
塔頭(たっちゅう)とは、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後その弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院。門徒らによって立ち並ぶ塔の中でも首座に置かれたこと、あるいは、門徒らが塔のほとり(=「頭」)で守ったことから塔頭と呼ばれたなどの説がある。

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本尊は、聖観音菩薩。秘仏の摩利支天をお祀りしているお寺。
それほど大きくない境内ですが、猪象が多くあります。秘仏の摩利支天像が猪に乗っているところから、猪がお使いになっているのでしょう。

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摩利支天は、仏教の守護神である天部の一尊。梵天の子、または日天の妃ともいわれる。摩利支天は陽炎を神格化したもので、由来は古代インドの『リグ・ヴェーダ』に登場するウシャスという暁の女神であると考えられている。陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があったのです。

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護身や蓄財などの神として日本で中世以降信仰を集めた。楠木正成は、兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就や立花道雪は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。山本勘助や前田利家や立花宗茂といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。

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日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。

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タイ捨流剣術では、現在でもなお、「タイ捨流忍心術」摩利支天経を唱えてから稽古や演武に入る。

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真言は「オン・アニチ・マリシエイ・ソワカ 」または「オン・マリシエイ・ソワカ 」
陀羅尼「ナモアラタンナ・タラヤヤ・タニヤタ・アキャマシ・マキャマシ・アトマシ・シハラマシ・マカシハラマシ・アタンダナマシ・マリシヤマシ・ナモソトテイ・アラキシャアラキシャタマン・サラバサトバナンシャ・サルバタラ・サルババユ・ハダラベイ・ビヤクソワカ 」

※猪をお使いとする神社も京都市内にあります。京都御所の西にある護王神社がそれです。摩利支天とは、性格がかなり違います。

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タグ:京都 社寺
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