六道まいり [社寺]
↑六道珍皇寺
昨日の続き。
珍皇寺には、いかないつもりだったのですが、千本えんま堂を紹介したので、やっぱり紹介しようと思いました。
↑迎え鐘
京都市内で、お精霊さんのお迎えは、西の千本えんま堂と東の六道珍皇寺です。
昔は、西の「蓮台野(れんだいの)」と東の「鳥辺野(とりべの)」ともう一つ「化野(あだしの)」が三大葬送野だった。平安時代の話なんです。
平安時代は、風葬か鳥葬だった。まだ亡くなっていなかったでも、病人を捨てにきた。
本日の珍皇寺周辺は、死体の捨てる場所だった。鴨川の河原も死体累々だったでしょう。だから疫病も流行っていた。
疫病は、亡くなった人の霊が迷って・・・という話しなんです。
京都の町は、死体と怨霊でいっぱいなんです。
各時代時代でおびただしい霊が積み重なっている。
千本通というのがある。あれは、蓮台野へ死体を捨てに行く通り道。
「卒塔が千本」という意味なんです。
そういう意味では、京都市内は何処をとってもパワースポットですね。もちろん悪い意味でのパワースポット。神聖なパワースポットなんかそう簡単にあるわけない。
鴨川でデートを楽しんで座っているカップルの側で、いっぱい霊がうようよしているかも。私ならあんな場所で座りませんね。
↑奥に冥土通いの井戸が見えています
↑群霊塔・・・ホラーのタイトルみたい
平安時代の京の都っておぞましい状態だったかも。
映画やドラマのような綺麗な状態でなかった。
怨霊もいっぱいいたかも。
六道珍皇寺は、千本えんま堂に比べると盛況ですね。
やっぱりこちらの方がメジャーなんかも。
こんかい周辺の店で土器を見つけた。普段でも売っているの?と質問するとあるそうです。ネットと値段は変わらないけど・・・。
探したら護摩木も売っているかも・・・。
京女のお母さんもここへお精霊さんを迎えに来られていた。
いまは、迎えに来てもらう側になってしまった。
だから段取りは、おわかりかも。
こうやって珍皇寺を見ると境内がちょっと変化していました。
地獄絵もお岩稲荷もなくなっていた?
結構、私もご無沙汰だったのかも。
この六道まいりは、昨日(10日)まででした。
お精霊さんは、各家庭にお帰りになっているでしょう。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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