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地獄地蔵 [社寺]

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この矢田寺は、寺町三条の東北角にある小さなお寺。
寺町通を御池通に向かって歩くと必ず見えます。
このあたりは、寺町というだけあってたくさんのお寺があります。
お寺に入るとお墓がたくさんあったりする。
これは、豊臣秀吉が京都改造の時、お寺を集めたからです。
おそらく京都に攻めて来られたら防御にするためなんだと思います。

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↑金剛山矢田寺

この矢田寺、もともと奈良にあったらしい。
700(文武天皇4)年、奈良の大和郡山にある矢田寺の別院として建立された歴史あるお寺です。いまでも奈良に矢田寺はありますが、宗派がちがっています。子細はよくわかりません。
また、いつ京都の今の場所に引っ越ししたのかは、わかりません。

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矢田寺がまだ奈良にあり、住職が満慶上人の時の不思議ないい伝えがある。
満慶上人にお客さんがあった。その人は、心霊業界で有名な小野 篁(おの の たかむ)さんでした。
この人物、昼は朝廷の役人、夜は地獄の役人という役人の鏡のような人物。地獄で閻魔大王の顧問をしている人物なんです。
満慶上人は「そんな有名人がなんでこんなお寺にこられたのか?」と尋ねると小野 篁さんは「閻魔大王さんは、ご存知の通り死者の魂の行き先を極楽か地獄かに決める仕事をしたはります。私もその補佐をしているのです。でも死者が増えるばかりで、極楽や地獄の振り分け作業に不安を覚えるようにならはったんです。どうしたらいいと閻魔大王から相談を受けたのです。奈良にある矢田寺の満慶上人さんから菩薩戒(ぼさつかい:菩薩の戒め)を受けはったらいい」とアドバイスした。
はな頼むということになり、ここに来ました。

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満慶上人は「そういう事情ならやらしてもらいまっさ」となった。
そこで小野 篁は、満慶上人を京都の六道珍皇寺に連れて行き、井戸から地獄につれていきました。
閻魔大王は、まだ役所の方に出勤してなかったので自宅の方に行ったのです。まあ、他の職員もいるので自宅の方がよかったのです。
行くと閻魔大王が茶漬けを食べていた。話を聞くと昨晩、キリストの所で肉をご馳走になり、その帰りお釈迦さんの所でカレーも食べたので、なんや胃の調子が悪いので今朝はお茶漬けを食べているんや「あんたらもどうや?」・・・中略。
無事、閻魔大王に菩薩戒を満慶上人は伝授し、閻魔大王の悩みは解消した。

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↑21日は地蔵盆を中でしてはりました

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閻魔大王は、「せっかく地獄にきたんじゃけ、地獄で遊んでいったらどうや。鬼の可愛い娘もたくさんおるでな」と言ってくれた。
満慶上人は、焦熱地獄の所にまで来ると、そこに一人の僧がいるのに気がついた。
「あのおっさん、なにしてるんや?」と近づいて行った。
満慶上人はその僧に「なにしたはりまんねん」と聞いた。
その僧は「私は、世の多くの人が苦しむ身代わりとなってますねん」と答えた。
よく見ているとその姿が地蔵菩薩の姿に見えた。
満慶上人は、その行為に感激し、その姿を憶えて、この世に戻った時、その姿を仏像にした。
それがお寺にある本尊なんです。

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↑なかなか個性的な絵馬でしょ

だから、ひょっとして私は地獄に行くかもと思った人は、矢田寺の絵馬に奉納したらひょっとして地獄に行った時、保険になるかもしれませんよ。

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タグ:社寺 京都
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