お化粧地蔵 [風景・和菓子]
京都市内の古い街を歩くと小さなお地蔵さんのお堂がある。
昔なら町内に一つは必ずあった。
いまは、どうかな?
京都市内にこのようなお地蔵さんが増えたのは、平安時代まで遡ることができる。
幼くして亡くなった童などの身代わりとなってその苦しみからお救いになるという地蔵菩薩を白河天皇が手厚く加護されたことから、広く人々へと広まったといいます。
昔は、無事に生まれて育つのは大変だったと思います。特に男の子は、生存率が少なかった。女性に比べ男性は、不安定なんだそうですよ。
昔は、医療も未発達でしたからね。
しかも、親に先立つ不孝物といい、地獄でも極楽でもない、賽の河原で石積みをさされる。
その子供の霊を地蔵菩薩は救うのだそうです。
だから、子供の守り仏のような存在なんです。
この「親に先立つ不孝物」というのを感じたことがある。
妹が中学三年ぐらいで病気で亡くなったのです。葬儀の時、山(火葬場)へ両親が行けなかったのです。私が代わりに行ったのを覚えています。あの時、親が行くことができない事に関して怒っていたのを憶えていますね。
このお地蔵さん、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈の時、かなり少なくなりました。
廃仏毀釈とは、大政奉還後に成立した新政府によって慶応4年3月13日(1868年4月5日)に発せられた太政官布告(通称「神仏分離令」「神仏判然令」)、および明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」などの政策を拡大解釈し暴走した民衆をきっかけに引き起こされた、仏教施設の破壊などを指します。
この時、京都市内のお地蔵さんが壊された。京都市に初めて市電を作る時、敷石にしたのもあるそうです。
この時、必死にお地蔵さんを守った人達もいる。
清水寺に行くとお地蔵さまがいっぱいある場所がありますね。
これは、清水寺に持ち込まれたお地蔵さんを当時の貫主大西良慶さんが救ったらしい。
それでもお地蔵さんは、残り現在に到っている。
このお地蔵さんは、地蔵盆の時、主役となる。
地蔵盆の時、子供たちによって化粧を施されます。
町内思い思いの化粧なんです。
こういうお地蔵さんに化粧をする習慣は、京都市内だけではなく、高槻、奈良、但馬、丹波、丹後、若狭、そしてなぜか津軽にも分布しているそうです。
小さなお地蔵さんのお堂を見つけたら、覗いてみてください。
化粧されたお地蔵さまがおられます。
中にはお地蔵さんの首のないのもあります。
それは、廃仏毀釈の時になくなったのだと思います。
宗教で一般民衆がヒステリックになるのは、怖いことですね。
いま、エルサレムで起こっている騒動は、宗教が元になっています。
日本人には、あまり理解できないことかも。
日本人ならイスラム教・ユダヤ教・キリスト教を習合してしまいますよね。
日本のやり方をちょっと学んで欲しいものです。
厳しい土地と民族の違いで元の神は同じでも、表現というか人間が違うから争ってしまうのかな・・・。
宗教や信仰が原因で殺し合いなんて、ちょっとおかしい。
生命の尊さ、不思議さを敬うのが宗教なのに・・・。
↑紫野源水「白玉椿」
↑薯蕷製、小豆こしあん入
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
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