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護摩焚き [社寺]

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さて、昨日の続き。
いつものような場所に立って待っておりました。
ほどなく、開始。
結界内(注連縄で囲った矩形の領域)に修験者の入場。
この時点では、結界が有効になっていない。

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↑法螺を吹く

行事の流れは、
「修験者入場」→「智積院の僧入場」→「修験者による結界内浄化」→「智積院僧の法要」→「護摩点火」→「参加者への加持」→「護符販売」→「解散」
用語等間違っているかもしれません。ご容赦ください。

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↑大きな鉞を使う

修験者の中で知った顔(何回も参加すると見知った人がいます)を見かけ、修験者として成長したなぁ・・・なんて偉そうなことを考えておりました。
考えながら耳では、役小角の物語を聴いているという不思議な状態。

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↑弓で五色の矢を5方向に放つ

結界を浄化するのが護摩焚きの大切な作業。
こんな流れかな?
法螺を吹く→大きな鉞を使う→弓で五色の矢を5方向に放つ→両刃の山刀?で清める→座って大根のような2本の木を使って→水で清める→点火

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↑両刃の山刀?で清める

話しは、「護摩焚き」の「護摩」ってなんだろう?
私は、コンピュータにテキストを選択し、読ませています。
「ゴマ」と読んでくれる。
私の頭の中では「胡麻」のイメージと味、香りがでてきます。(笑)

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↑座って大根のような2本の木を使って

この際、調べてみました。
「護摩」というのは、サンスクリット語の「ホーマ」を音写したもので、「物を焼く」という意味です。
物を焼くと、炎があがりますが、実はその炎が重要。
燃え上がる炎は「天の口」であって仏の智慧の象徴でもあり、その口から供物を食します。
納めた護摩木は、供物として焼かれるのです。
そして、煙が天に届くことで、天は食を頂くことができ、代わりに人に福を与えるとされています。
このような考え方、由来はバラモン教にあります。
バラモン教が儀式で行っていたやり方を、大乗仏教も取り入れたんです。

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↑大僧正の祈祷

天から供物を食べにくる。
だから結界内を清浄にして、作業をするのです。
いくら美味しい供物でも、汚い人間が供してしたり、机がベトベトに汚れていたり、お皿に食べかすがついていたりしたらいやですからね。

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「天でも綺麗や汚いの区別をするのか?」という疑問は残ります。
本当の天なら、陰陽・善悪・美醜なんていう概念はない筈。
あるならそれは狐狸の存在(幽界的存在)なんと違うのか?

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↑閼伽(あか)によるお清め。アカとは水のこと。

ある説法して回る坊さんがいた。
「大いなる仏は、陰陽・善悪・美醜を問わない」と話した。
悪童がそれを聴いていた。
その坊さんが説法を終え、竹の皮で包んだおむすびを食べ、川で竹の皮を洗っていた。悪童が「お坊さん、綺麗・汚いがないというたはったのに、なんで竹の皮を洗っているのか?」と質問した。
坊さんは、とっさに答えられなかった。
この話と構造的に似ている。

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↑点火の前のセレモニー

高次元の存在がみな清浄なんやろか?
そう考えるのも拘りなんかも。
難しい問題やね。
こんなん書いていたら訳がわからなくなる。
本日は、この当たりで止めております。

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タグ:社寺 京都
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