フト、見上げると・・・ [風景・和菓子]
昨日は、京男が眼科に行く日だった。
そう言えば、右の目だけ涙が出て止まらない。
半分だけ涙もろくなった。
その件をドクターに質問しないといけない。
病院に行くと視力検査、眼底写真、眼圧を測定。
特に異常はなかった。
視力も両目とも1ぐらい。
ひょっとして視力はよくなっているかも。
京男の目に涙の件を質問。
試薬で色々調べられた。
結果は、ドライアイとなんらかのアレルギーが原因らしい。
でも片目だけ?
不思議ですね。
アレルギーの原因は不明。
そこで本日の写真。
この写真の時、大きな声で電話で話し中だった。
フト上を見ると人影が・・・。
マンションの外装工事の人達でした。
ここの所、塗料の臭いが漂ってくるのです。
空気を入れ換えようにも窓やベランダを開けられない状態になっている。
ひょっとして塗料のアレルギーかも。
取りあえず病院でアレルギー対応の目薬はもらってけど、涙を抑えることができるか?
早く、工事が終わらないかなぁ・・・。
ベランダ側はカーテンを閉めてあるから薄暗いのです。
こういう環境に長くいるとウツになりそう。
ボイストレーニングの練習もできない・・・。
↑本家玉壽軒「亥の子餅」
亥の子(旧暦10月(亥の月)の亥の日)の亥の刻(午後10時ごろ)に食べられる。これは猪を表現したお餅。
※摂津国能勢における亥の子餅の伝承
仲哀天皇9年、12月に神功皇后は、自ら将帥となり、三韓に出兵した。筑紫に還啓された後、皇太子(応神天皇)が誕生した。
仲哀天皇10年、2月に穴門・豊浦宮を出発し、群郷百僚を率いて海路をとり、大和に凱旋する途中に、皇太子の異母兄である香阪(かごさか)・忍熊(おしくま)の二王子が、やがて皇太子が即位することを嫉(ねた)んだ。二王子が相謀り、皇太子を迎え討って殺害しようと大軍を率いた。上陸するのを待つ間、戦の勝敗を卜(ぼく)して(占って)、能勢(大阪府)の山に入り、「祈狩」(うけいがり)を催した。
「戦に勝つならば、良獣を獲られるであろう」と言っていたが、まもなく、大猪が現われ、香阪王に飛び掛った。香阪王は驚いて、近くの大樹によじ登ったが、猪は大樹の根を掘り起こし、遂に香阪王は死亡した。忍熊王はこの事を聞き、怪しみ恐れて、住吉に軍勢を退いた。
神功皇后はこの事を聞かれて、武内宿禰に忍熊王を討伐を命じた。忍熊王は戦に破れ、山城国宇治に退き、さらに近江国瀬田に逃れたが、死亡した。これにより、皇后・皇太子は、無事に大和の都に凱旋した。その後、神功皇后が崩御し、皇太子(応神天皇)が即位した。応神天皇は、皇太子の時に、猪に危難を救われた事を思い出して、吉例として、詔を発して、能勢・木代村、切畑村、大円村より、毎年10月の亥の日に供御を行うように命じ、亥の子餅の献上の起源であると言い伝えられている。
神功皇后は、自ら将帥となり、三韓に出兵・・・被害者から訴訟を起こされそうやね。
↑求肥、粒あん
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko