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昔ながらの洋食 [洛外・食]

ここは、大阪心斎橋にある明治軒。
もう50年ぐらい通っている。
このお店の近くに学生時代住んでいたのです。

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↑明治軒「串カツとコロッケ」

はじめて、ここの串カツやクリームコロッケを食べて感激したものです。
蓬莢の豚まんだって、憧れていたけど、京都では手に入らない時代でした。
大阪に住むことになり、本店に行った時は嬉しかった。
豚まんも一個40円ぐらい、焼売が5個で70円!
蒸し器がなく、もちろん当時電子レンジなんてものは存在していなかった。
8個入りを住んでいる家に持って帰り、温かい間に全部食べたりしていた。
珉珉の餃子も10人前を買って帰り、同じように温かい間に食べた。
ジンギスカンも肉を量り売りしていたのを1キロぐらい買ってフライパンで焼いてたべていた。
ケンタッキーフライドチキンも円筒の入れ物に憧れていた。映画『スケアクロウ』 ジーン・ハックマンとアル・パチーノが出ていた映画です。その中でフライドチキンをみんなで食べるシーンがあり、フライドチキンに憧れておりました。
日本に上陸いたばかりだった。当初、コールスローが大きな入れ物だった。ポテトも4人前ぐらい箱に入って売っていた。それを一気に食べていたな。
ピザも珍しかった。13インチと料理を食べていたりした。

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↑上記のセットのスープ

いまは、ピザなんか見向きもしない。珉珉の餃子もあまり食べない。当時王将は、行かなかった。10人前食べたら無料になった時代。食べてお金がなかったら皿洗いをして・・・なんてのもアリだった。

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↑ここのクリームコロッケには、マカロニが入っている。懐かしいでしょ。

それが最近、情けないぐらい食べない。
まあ、2回ぐらい入院したのが影響している。
私は、入院すると食事を食べないのです。
水だけ。
まあ、差し入れでブルーチーズや餃子、焼き鳥なんかは食べていましたが・・・。
基本的に偏食なんかな?
母方の叔父が偏食で肉しか食べなかった。死ぬまでそうだった。
野菜なんか食べないのです。もちろん便秘だったらしいけど。
でも結局は心臓病で亡くなった。

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我が父親でも一緒に食事をしていると結構偏食なんですよ。
でも94歳でまだ元気。
栄養が・・・なんてあまり関係ないのかも。

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↑オムライス

明治軒に話しを戻します。
この明治軒、洋食では老舗になります。
自由軒も同じような雰囲気だけど、当時の自由軒は、洋食だけじゃなく、中華もやっていた。チャンポンもありました。メニューに2500カロリーという表示もありました。それを見て「そうかチャンポンを食べたら一日なにも食べなくてもいいんだ」と思ったものです。

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↑懐かしい味のオムライス

当時の私は、1日か2日に一食ぐらい食べておりました。
水分は、珈琲でした。当時自分で珈琲豆を碾き、ネル袋でいれていた。
それを2リットル飲んでいました。
当時、怪我をしたら血でなく珈琲が出ると言っていたほどです。

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↑ポークチャップ

身体が極めて丈夫だったんでしょうね。
自炊なんてあまりしなかった。
オール外食、夢のような学生時代。
当時、肩までの長髪。でも髭は生えていなかった。
1日3時間のトレーニングもしていたから、野蛮人のような雰囲気だったかも。

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↑十日戎の熊手

その状態でこの明治軒にも来ていた。
本日の写真よりはるかに量が多かった。
コロッケは3個、串カツ8本、ポークチャップ、オムライス・・・。
ただ、あの頃から比べると小さくなったなぁ・・・。
蓬莢の豚まんも半分ぐらいの大きさになったような。
そのかわり値段は、170円か・・・でも小さくなりました。

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それからこの明治軒、創業が昭和元年らしい。
なら昭和軒と違うのかなぁ?
ちょっとフライ物が私にとり厳しくなったけど、たまには行かなくちゃね。

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タグ:大阪
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