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オモッタように未来や過去を変える? [社寺・和菓子]

今日の写真も東寺境内のものです。
歩いていてフト気になる時がある。
例えば、下の写真のような掲示。気になるけど、その場で読めない。悲しいでしょ。写真を撮って置くのです。
そして書き写す。私の場合、視覚的にというよりキーボードを操作しながら手が憶えて行くのです。手から情報を得ているのかも。目は補助的なのかも。

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「物に定まれる性(しょう)なし
 人、何ぞ常に悪ならん」
お大師さまのおことば(秘蔵宝鑰第二)

物には決まった性質はない。どうして、人は常に悪人であることがあろうか。
ご縁によって人は善にも悪にもなります。
良い教えに出会って、それにしたがえば、凡人もすぐれた人物になるはずです。
「自分を変えれば、未来が変わる!」

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「物に定まれる性(しょう)なし」
これは、よくわからない。物には、定まった性質があるから物なんだと思う。
性が定まって動かないから物(モノ)。

人は、性質が定まっていない。常に動く。だから動物。
動物と人間は、動き方が違う。
動物は天地自然の理で動く。
人は、違う。天地自然の理で動く時もあれば、我欲の理で動く場合もある。
我欲で動くことが悪い訳では無い。過ぎるのがだめなのである。
この制御を教えるのが「良い教え」なのかも。

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100%天使自然の理だけでは、現在の我々の文明は成り立たない。天地自然のままに生きれば、寿命は短くなるだろう。人口も多くならない。

天地自然の理(天道)と我欲の理(人道)のバランスがとても大切。
天変地異や病気、運命の不具合を見ると天道と人道のバランスの不具合の問題があるかも。

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物事に接する時、いきなり二元論や感情で判断してはならない。
いま、自分は、どのレベルで判断しているか、冷静に観る必要がある。
「観る」とは、肉眼の目で見るということでなく。切り口、角度、時間、立場を自由に観るということ。
柔軟な視点を持つことが「観自在」ということかも。

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人は、他の生物と違い、自由に考えて行動できる特徴がある。
また、人間は魂の深い部分で、宇宙根源の意思と通じている。創造主(サムシング・グレート)とも通じている。だから思(想・念)ったことが実現する可能性がある。
ただ、凡人がそうなる状態にはならない。ストッパーがついている。その人の魂のレベルに応じて「思(想・念)ったことが実現する」のだ。

そういう意味で「自分を変えれば、未来が変わる!」のです。

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↑京都鶴屋鶴壽庵「祝の松」

以上のようなことを手からインプットしていると応え?が出て来ました。
ちょっと面白い。来年からのテーマになるのかも。
何のことを書いているか、ご理解いただけないかも。
これは単に私のメモなんです。すんません。

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↑もち皮、白こしあん

よう考えたら、今年最後のブログなんですね。
一年間、お付き合いいただきありがとうございました。

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