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矢取地蔵尊 [社寺]

久しぶりに羅城門に行きました。
昨日の記事でサンドイッチのランチを食べた後、京女と2人で市バスを乗り継ぎ羅城門へ行った。ミスター・ギョーザに行った訳ではありません。
京女の母親が入院したのでお見舞いに行ったのです。
正確な診断はまだらしいけど、どうやら圧迫骨折らしい。
夜中にベッドから簡易トイレに移動する時、尻餅をついたようです。
眠剤を使用するとそういうリスクがあります。夜中にボーッと起きる場合があるのです。我が父親も「夜、なかなか眠れない。眠剤があれば」といいます。それは夜中に目が覚め、半覚醒状態でいるのが危ない。だから父親には「だめ、寝られないなら寝なければいい。一晩ぐらい徹夜をすれば必ず寝られる。昼間でも眠たくなったら寝ればよろしい」と言ってあります。

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↑矢取地蔵寺

毎日ではないけど、病院に行くことになるだろうな。
元気だったので、元気な内に退院してくれるのを願います。
どんなにいい病院でも入院すると気が塞がります。高齢者はボケる危険もあるのです。
まあ、義母は、前回も同じ状態になり、コルセットも自前のモノがあるのでなれたものです。でもねぇ・・・。
見舞いに行ったらミスター・ギョーザに行ける点はいいかも。
でも家に帰るために、バスを乗り継ぐ必要がある。それが欠点かも。
みなさん、骨密度だけは上げておきましょうね。

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羅城門の側にあるのが矢取地蔵尊(やとりじぞうそん)がある矢取地蔵寺。
由来は、以前に書いたけど、高札の内容を書き写しておきます。

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↑これは本尊ではありません

矢取地蔵尊(やとりじぞうそん)
本尊は矢取地蔵尊。石像で右肩に矢傷の跡が残っている。左手に宝珠、右手に錫杖、矢を持つ。かつては矢負地蔵とも呼ばれた。
天長元年(824年)、日照り続きで人々は飢えと乾きに苦しんでいました。そのため淳和天皇の勅命をより、東寺の空海(弘法大師)と西寺の守敏(しゅびん)僧都が神泉苑の池畔で雨乞いの法会を行った。
先に守敏が祈祷するも雨は降らなかった。対して、空海が祈祷すると三日三晩にわたって雨が続き、国土が潤った。
これにより守敏は空海を恨み、ついに空海を羅城門の近くで待ち伏せ矢を射かけた。すると一人の黒衣の僧が現れ、空海の身代わりとなって矢を受けたため、空海は難を逃れた。
空海の身代わりとなった黒衣の僧は地蔵菩薩の化身であったため、その後の人々はこの身代わり地蔵を矢取の地蔵と呼び、羅城門の跡地であるこの地に地蔵尊を建立し、長く敬ってきた。
現在の地蔵尊は明治十八年(1885年)に、唐橋村(八条村)の人々により寄進され建立されたものである。

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↑羅城門の石碑

東寺の空海と西寺の守敏の雨乞い祈祷が面白いですね。
当ブログでいうと「雨降りのすーさん」と「晴れ男の京男」宿命の対決みたいなことになるのかも。

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↑「羅生門」ではありません。それは小説のタイトルです。

まあ、ここは、病院にお見舞いの時、前を通るので撮影するとします。
もちろんミスター・ギョーザもね。

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(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

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タグ:京都 社寺
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