SSブログ

十牛図・・・あなたはどこにいる? [風景・和菓子]

DSC08927.jpg

「辛丑(かのと・うし)」の年は、なんらかの形で「悟り」を得た方がいいだろうな。「悟り」でなくても「さとり」でも「サトリ」でもいい。
おそらく、現時点ではそういう状態でないだろうしね。
釈迦の「悟り」でなくてもいいのです。ちょっとした「気づき」でいいですから。
できるだけ、リラックスして、視野を広く持つことが必要です。
エゴという猛獣をうまく飼い慣らすことも必要。
すべては生き残るために。

P1060079.jpg
↑長久堂「十牛の図」

「十牛図」って何?
十牛図(じゅうぎゅうず)は、悟りにいたる10の段階を10枚の図と詩で表したもの。

P1060081.jpg
↑外郎、こしあん

1.尋牛(じんぎゅう)
仏性の象徴である牛を見つけようと発心したが、牛は見つからないという状況。人には仏性が本来備わっているが、人はそれを忘れ、分別の世界に陥って仏性から遠ざかる。

2.見跡(けんぜき/けんせき)
経や教えによって仏性を求めようとするが、分別の世界からはまだ逃れられない。

3.見牛(けんぎゅう)
行においてその牛を身上に実地に見た境位。

4.得牛(とくぎゅう)
牛を捉まえたとしても、それを飼いならすのは難しく、時には姿をくらます。

5.牧牛(ぼくぎゅう)
本性を得たならばそこから真実の世界が広がるので、捉まえた牛を放さぬように押さえておくことが必要。慣れてくれば牛は素直に従うようにもなる。

P1060308.jpg
↑塩芳軒「北野の春」

6.騎牛帰家(きぎゅうきか)
心の平安が得られれば、牛飼いと牛は一体となり、牛を御する必要もない。

7.忘牛存人(ぼうぎゅうぞんじん/ぼうぎゅうそんにん)
家に戻ってくれば、牛を捉まえてきたことを忘れ、牛も忘れる。

8.人牛倶忘(じんぎゅうぐぼう/にんぎゅうぐぼう)
牛を捉まえようとした理由を忘れ、捉まえた牛を忘れ、捉まえたことも忘れる。忘れるということもなくなる世界。

P1060336.jpg
↑上用、こしあん

9.返本還源(へんぽんかんげん/へんぽんげんげん)
何もない清浄無垢の世界からは、ありのままの世界が目に入る。

10.入鄽垂手(にってんすいしゅ)
悟りを開いたとしても、そこに止まっていては無益。再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く必要がある。

番外11.食牛肥満
悟りを諦め、牛を食することにより、牛を自分自身の肉体に同化する。これならできるかも。

さて、あなたは1〜11のどの段階におられるのでしょう?

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。