地味な?清水寺風景 [社寺]
さて本日から清水寺の境内の写真をご紹介します。
皆さんは、清水寺をご存知ですよね。
京男の場合、清水寺とのご縁は三十数年ぐらいになります。
小さい時は、西陣、聖護院方面、岡崎公園、動物園、吉田山、鴨川・・・なんかは馴染みがあったけど、清水寺は行ったことがなかった。
すごいでしょ。京都の東山区以外の子供はそうだと思う。遠足に行くには近くのです。京都駅なんかも最近は毎日のように行きますが、私の小学校ぐらいの時は、年に数回ぐらいしか行かなかった。
丸物で夏休みの工作の発表展示があり、それには常連でしたからね。
絵なんかもそうです。
その時、市電に乗って行ったものです。
でも清水寺は行かなかった。
縁がないしね。
高校の時は、永観堂や南禅寺の側だったから若干は行った。
でも通るだけで境内に入るというのは皆無。
神社だってそうだ。
吉田神社も遊び場所だけど、詣ったことはない。
幼稚園の時は、キリスト教だった。
日曜学校に行けば、えびせんがもらえると思い、行こうかと思った時期がある。
あれって「聖餐式」というやつみたい。
パンとぶどう酒の儀式らしい。
うまそうに見えたのです。えびせん状のものが・・・。
あのえびせん状のものがキリストさんの身体で、赤い飲物がワインでキリストさんの血をあわわしているのだそうです。
そう小さい時に説明されたら、食べたくなくなっただろうな。
高校の時は、仏教系だったので、ちょっとだけわかっていた。
でも本格的にわかったのは、最近かも。
神道も同じようなものかも。
典型的な日本人パターンかも。
「あんたとこの宗派は何?」と聞かれたら「もんと」と言うことになっていた。
「もんと」って「門徒」?
ウィキペディアで調べると
「門徒とは、一門のともがらのことを指す呼び方である。ことに同じ門流に属して信仰を共にする人びとのことを言う。後には一寺に属する檀徒のことを言うこともある。 ことに浄土真宗の檀徒・信者を「門徒」と呼ぶことが一般的であり、他宗派の檀徒を門徒と呼ぶことは少ない。このことで、「浄土真宗」を門徒宗と呼ぶこともある」とありました。
我が家は、浄土真宗ということになります。
母が亡くなった時、父に質問しました。
「我が家の仏壇は、浄土真宗的ではない。なぜ?」とすると「知らん」とのこと。
仏壇に入っているのは、中学の時に亡くなった妹が入っているだけなんです。
先祖はいません。本家でないしね。
妹が亡くなった時、おっさん(和尚さん)とお金の件で父とおっさんが揉めたらしい。以来、父は仏事にノータッチとなっていた。
困ったのが母です。「お前に任すから仏壇を作れ」と言ったらしい。
私は、その時、大阪に住んでいたから実家に居なかったのです。
母は、仏壇の件を母の実家に相談した。
母の実家は浄土宗だった。
だから我が家の仏壇は浄土宗の形になっている。位牌だって変な作りになっていた。俗名もなかったしね。
父に聞いても「知らない」という答え。
いい加減な・・・。
で、私が母親の位牌を作った。うまくできたので妹の位牌も作り直したのです。
もちろん、入霊作業も私がした。そんなことが出来るのがちょっと異常かな?
でも仏壇は、変なまま。
いずれ、仏壇はもっと簡素化するだろう。
なんてのが我が家の状態。
清水寺とは、ほんとに最近の付き合いになるのかも。
でも唯識についてはちょっとだかけ門前の小僧状態で学べた。
北法相宗というのは、ちょっと好きですね。
清水寺は、檀家がないのです。お盆だって檀家回りをなさらない。
墓地もないのです。本来の仏教に近いのかも。
清水寺は、昔から遊山の寺。
いろんな神仏が到るところにあります。
本日紹介の写真を見るといろんな神仏が祭ってある。
もうなんでも有りの状態。
それを観音さんが束ねている。
それでいいのかも。
日本らしくて。
そんな状態なら宗教戦争なんか起こらないだろう。
そこが日本の良さ。
宗教や信仰をもうすこし「いのち」という観点で見直す時期が来ているのかも。
そんなことを境内をうろうろしながら考えておりました。
緑が綺麗だった。
まだ写真は続きます。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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