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銅閣寺? [社寺]

本日の記事は、昨日の続き。
現在の龍池山大雲院を見に行ってきました。
中には入れなかったけど、祇園祭の山鉾のような形の塔を回りから撮ってきた。
ここ数日、安定した天気で連日36度だった。

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↑この塔が銅閣です。別名祇園閣といいます。京都名物電線がすごいですね。

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↑ここも大雲院

家から歩いて、四条河原町まで行った。
久しぶりに八坂の塔あたりもウロウロした。
他の景色は後日に紹介します。
本日は、取りあえず龍池山大雲院ね。

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龍池山大雲院は、四条河原町以前は、御池通の昔の龍池小学校あたりにあったらしい。それが四条河原町に秀吉によって移動させられ、昭和48年高島屋が拡張する時、現在の八坂神社の南に移動した。

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移動してきたこの場所はもともと大倉喜八郎の別荘でした。
大倉喜八郎は一代で巨万の富を築き、大成建設や鹿鳴館、帝国劇場、帝国ホテルの創始者でもある人物です。

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現在の大雲院はもともと、大倉喜八郎の別邸・真葛荘(まくずそう)の一部だったのです。大倉喜八郎は、「金閣も銀閣もあるんだから、銅閣も作る!」と京都の名物にすることを考えて銅閣を建てたそうです。

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だから大雲院というお寺と銅閣とは、あまり関係ないということですね。
この山鉾みたいな塔は、現在それほど名物にもなっていないように思います。
大雲院のような移転を繰り返したお寺は、結構あるかも。
秀吉の京都改造というのは、京都にとって無茶苦茶な改造だったかも。
お寺を並べて防備にするなんて、考え方がすごい。

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大倉喜八郎が「金閣、銀閣につづいて銅閣」という発想が面白い。
でも金閣・銀閣と比べたら品がないように思う。
成金の悲しさかも。
私は、この塔の中は入ったことがないです。
公開されているとは思うけど・・・。

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タグ:京都 社寺
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