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薫風香る庭3 [社寺]

さて、庭からその他の箇所を紹介。
我々の家と違い、何も無い空間というのは清々しい。
昔は、庶民の生活もシンプルだったのでしょう。
電気製品も無いしね。

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我々の生活は、そんなに豊かでないのに、モノに溢れている。
電気製品も多すぎる。
物質的に豊かになってように見えます。それなのになんか物足りない。それだけでなく不安が増したように思います。
昔は、西洋医学などなく、病になれば悪くすると死ぬ。寿命も短かった。
今は、些細なことで死んだりしない。でも風邪一つシャキッと治せない。なぜなんだろう?みんな知識がいっぱいなのに、智慧は足りない状態。
モノがあぶれると智慧は働かなくなるものなのか?

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病気になったら神仏におすがりするしかない。
最近は、神仏もあまり当てにならないことになってきたかも。
環境が豊かになった影響で、自分の生きるための知恵や智慧を働かなくなった?退化した?
人間自身の免疫力もかなり弱って来た。いまの子供達は、肉体的・精神的に弱くなったかも。情報過多の影響か・・・。

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↑いつもは、反対側から見ています。

こういうシンプルな建物にいるとそう感じる。
いまの生活の豊かさと貧しさがある。
幸せ感も少なくなった。子供達から夢や希望が少なくなって来ているかも。
そんなことを考えていました。

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↑うまくすると床、新緑になりますね。

なんか話題が智積院からそれてしまった。
この智積院、もともとは根来寺(ねごろじ)の塔頭だったそうです。
根来・・・紀伊国根来(現・和歌山県岩出市根来)の大伝法院(現・根来寺)の塔頭だった。
根来寺は豊臣秀吉と対立し、天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上した。天正13年(1585年)の根来攻めで全山炎上した。当時の根来寺には2,700もの堂舎があったという。当時、智積院の住職であった玄宥は根来攻めが行われる前に弟子たちを引き連れて寺を脱出し、高野山に逃れた。その後、玄宥は新義真言宗の法灯を守るために智積院の再興を志したが、念願がかなわないまま十数年が過ぎた。

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関ヶ原の戦いで徳川家康方が勝利した翌年の慶長6年(1601年)、家康は東山の豊国社(豊臣秀吉が死後「豊国大明神」として祀られた神社)の付属寺院の土地建物を玄宥に与えた。これにより、智積院はようやく復興を遂げた。

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そういうことだったのですね。

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織田信長や豊臣秀吉が宗教勢力と闘ったのは、調べるとなかなか面白いですね。
このあたりの話は、面白いです。
書き始めたら切りが無いですね。また機会があれば紹介します。

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タグ:京都 社寺
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