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どら焼 [和菓子]

5月に京都大丸の地下で食べた「どら焼」を買ってみました。

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↑笹屋伊織「どら焼」

この「どら焼」、月に20・21・22日の3日間しか販売していない。
毎月21日が東寺の弘法大師の縁日に因んでいるそうです。
ずっと以前から存在は知っていましたが、手に入れるのは初めて。

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京男は、どら焼というお菓子はあまり好きでなかった。
甘い餡を甘い生地で包むのが嫌いだったのでしょう。
最中なんかもあまり好きでなかった。
「生菓子も好きか?」と聞かれたら、「好きになれない」と答えるかも。
本までつくっているので、京男を甘党と勘違いされているかも。
もちろん、味をみるために食べるけど、それは職業意識であって、好きなのではない。好きだと冷静に味を見られないと思う。

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母方の祖父は、甘党だった。
小さい時、母の実家に預けられていたことがある。
甘党の家族で、一人1本羊羹が配られていた。
それを見て怖気をふるっていた。
おはぎも苦手だった。あの家でつくる大きなおはぎが怖かった。

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それと生菓子の色合いが嫌だった。色粉を使って色をつけるのです。
それが苦手だった。
落雁、州浜、羊羹も苦手。
昔は、結婚式の引き出物で巨大な上用饅頭や羊羹が配られた。ああいうのが嫌いな理由だったかも。

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でも母の実家の小豆を煮る香りは好きだったかも。
祖母のつくる精進料理も苦手だった。
干瓢、椎茸、高野豆腐を甘く炊いたんも苦手だった。
甘い食品全体が苦手。
祖父は、白い御飯にお砂糖をかけて食べていた。私にとりそれは恐怖。
母もそんな家庭に育ったから、甘いものは好きでなかった。
だから、お菓子はあまり買ってもらわなかった。

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そんな私でも、洋菓子は作っていた。
洋菓子やパンを作る訓練はうけていたからです。
趣味でつくっていた。
フランス、ドイツ、ウィーン菓子を作っていた。
でも味は見るけど、好きで食べた訳ではない。
不思議でしょ。
ミルクキャラメルなんかも作ったな。
私としては、料理人がつくるデザートが得意だったかも。
洋菓子屋さんのお菓子はあまり好きでない。
それをつくるのは、京女の方が得意かも。

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和菓子の生菓子は、形状、ネーミングが好きだったのです。
食べるのは好きでない。
抹茶は、専門的に習ったので、味はわかる。茶道的にはやってないけど。味に興味があったからですね。

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何を書いてるんや・・・。
まあ、こういう時は出るに任せるのが最近の傾向。
料理なんかも、趣味的に家でつくっていた。
外に食べに行くのも、味を盗むためなんです。
三回食べたら、大抵再現できます。
この能力をプロとしてやったらいいのに・・・しないのです。
いま思うと食べ物もやらなくてよかった。いまの時代を予想していましたからね。
趣味にして置く方が楽しいと。

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どら焼の話しも書いて置いた方がいいのかな?
このお菓子は、さほど美味しいと思わなかった。
作りたてを食べたいな。つくって保存するのにエージレス(脱酸素剤)を使う。窒素充填より優秀だから。でもエージレスの味?が付くのが嫌なんです。土産物の殆どにエージレスを使用している。仕方ないのですが。
何がどう味に影響するのか・・・表現しずらいのです。

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このどら焼も三日間限定なら作りたてを売ればいい。
バームクーヘンなんかもそうやね。

この「どら焼」竹の皮で包むのは好きなんです。
包丁で切る時に形が崩れるのが問題ですけど。
細かいノコギリ状の刃の包丁が必要ですね。

なんか雑談で終わってしまった。
すんませんなぁ・・・。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2018/01/22
  • メディア: 単行本


↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
タグ:和菓子 京都
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