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廃仏毀釈を逃れて [社寺]

これは法話を聞きに行った日の続きです。
この清水寺にあるお地蔵さんは、明治の「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の時に京都の街角からお地蔵さんが消えそうになった時、清水寺が引き受けたのがこのお地蔵さんたち。
明治維新後に成立した新政府が慶応4年3月13日に発した太政官布告「神仏分離令」、明治3年1月3日(1870年2月3日)に出された詔書「大教宣布」など神道国教・祭政一致の政策によって引き起こされた仏教施設の破壊などを指す。

P1160013.JPG

この時、仏教的なものを排斥を意図したものではなかったが、結果的に廃仏運動と呼ばれる民間の運動を引き起こした。神仏習合の廃止、神体に仏像の使用禁止、神社から仏教的要素を払拭した。この時、文化財的なものが破壊、売買されたそうです。
この時、外国に流出した文化財も多いそうです。
でも結果的にそれが守られたことにもなったのかな。
このあたりの経過は、あまり学校で詳しく教えてくれない歴史ですね。

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タグ:京都 寺社
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