夏休みも終りやねぇ [和菓子]
21、22日は地蔵盆をしてはる町内が多かった。
本来の地蔵菩薩の縁日は24日だからちょっと早いけど、用意をする大人の都合で土日にする町内が多い。
小中学校の時は、地蔵盆がきたら夏休みももうお終いというなんだか切ない気持ちになったものです。
そろそろ夏休みの宿題をしなくては・・・と思うからかも。
京男の場合は、9月の始業式がはじまってから級友と情報交換をしていたものです。
実際に宿題をやったのは図画工作ぐらいかな。
図画工作だけは、いつも表彰だった。
手先だけの子供だった。(口先は小さい時はなかった)
京都駅前の百貨店「丸物※」で展示してもらったな。
※丸物を知る人はきわめて少ないだろうな。後の近鉄百貨店ね。
その近鉄百貨店ももうない、今年の秋にヨドバシカメラでオープンする。
夏休みの宿題で京男は、結構ユニークな工作をつくっていた。
・リニアモーターカー(永久磁石と電磁石を使って)
・電気ショックネズミ捕り(交流の電線を張ってネズミに電撃を与え捕まえる)
・回転式本棚(ビー玉をたくさんつかって)
・集音器(録音機と組み合わせて)
・潜望鏡(鏡とレンズを組み合わせた本格派)
・ジュースの自動販売機(画用紙でつくったたわいないものでしたが)
『夏休みの友』は、出版元に電話して答付きのものを手に入れていた。
こういう悪知恵だけは、小さい時からあったようです。
夏休みの昼間は、家にほとんどいなくて、若王子プール、疎水、白川で泳ぎ。
吉田山でブンブン、カミキリ、クワガタ、カブトを仕掛けを作って捕り。
如意ケ嶽(大文字山)や南禅寺方面で水晶や椎の実を探して走りまわった。
出町柳あたりの鴨川へ行っては、魚を捕りたき火をして食べていた。
当時の鴨川は、高野川上流の染色工場の影響で汚い水だったのにね。
イモリやザリガニも友人のお寺の池に釣りにいったな。
たくさん捕って二条の黒焼屋に売りに行こうとしていた。
わが家の子供はそういう夏休みをしていない。
彼らの行動範囲は驚くほど狭い。
これからのサバイバルの時代に生きていけるだろうか・・・。
映画だってひとりで観に行ったのが小学校の4年だった。
幼稚園前から父親に連れられて映画を観に行っていたからさほど抵抗はなかったのかも。
映画『ニュー・シネマ・パラダイス』の感じがよくわかる。
あの映画中の映画をジッと家のテレビで観ていたのを憶えています。
↑長久堂「処暑」
↑みじん羹、こなし、煉切、白こしあん
Twitter→@kyo_otoko
2010-08-24 06:03
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