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血天井は見れなかった・・・養源院 [社寺]

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ここは、養源院。
西向が三十三間堂なんです。
ここは近くだけどまだゆっくり入ったことはない。

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この養源院は、浄土真宗遣迎院派の寺院。
養源院の寺名は浅井長政の院号から採られた。
文禄3年(1594)に豊臣秀吉の側室・淀殿が父・浅井長政の供養のために秀吉に願って成伯法印(長政の従弟で比叡山の僧)を開山として創建。
そうか茶々さんのお父さんが長政さんやものね。
秀吉さんも「だめ!」とはいえなかったんだろうな。
ちなみに茶々さんのお母さんは、信長の妹の市さん(座頭市ではありません、お市の方。本名秀子さん)か。信長おじさんということになる。
浅井長政は織田信長に滅ぼされる。信長が長政の頭蓋骨で杯をつくりお酒を飲んだというのはフィクションらしい。信長は京男同様アルコールアレルギーやったらしい。
その時、お市さんや茶々さんたちは、保護されたそうです。
その娘の茶々さんに手をださはったのが秀吉さん。
やりおるな・・・おっさん。

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ここ養源院は血天井が有名なんです。
ここの血天井は、関ヶ原の戦いの前哨戦ともいわれる伏見城攻防戦で
鳥居元忠以下1000人余りが城を死守し、
最後に自刃した廊下の板の間を供養のために天井としたもので、
武将達の遺体は残暑の残る8月から9月中旬まで放置されていたと言われ、
そのため今も生々しい血の痕があちこちに残る。
同じ血天井は宝泉院・正伝寺・源光庵にもあるけど、
生々しさでは養源院が一番といわれる。
一番といわれてもねぇ・・・。
撮影のできないようだし。

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門を入ったところに毘沙門天と白衣弁財天があります。
この二人は夫婦なのでペアで祠があります。
白衣弁財天ってなんだろう・・・。
美人看護婦さんっぽいイメージなんやろか。
なら毘沙門天は、医龍なんやろか・・・。

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結構信仰したはる人が多い雰囲気ですね。

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白衣弁財天は弁天さんだけあって、祠が水で囲まれています。
ここに医龍が住んでいるのかも。

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 社寺
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