こんな庵がいいな [社寺・和菓子]
今日の記事も等持院。
茶室編です。
この茶室は、義政公の好みと伝えられているが子細はわからないらしい。
義正って誰?と思うでしょ。
足利義政(あしかが よしまさ)は、室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年- 1473年)。
幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。
政治家としては全然ダメな人ですね。
だけど少なくとも文化は残した。
庶民からすると最悪な人だったかも。
賀茂川の流れが餓死者の死体で止まるぐらいの被害をだしている真っ最中に、文化的な建物を建てていた。
自分の後継者をめぐって起こった応仁の乱の真っ最中でも酒宴や連歌の会を開いていたらしい。
いまならIT革命※が起こっただろうな。
いまの中東はそんな感じなのかな・・・。
※森喜朗が提唱した「イット革命」のことではなく、エジプトやリビアでおとりつつあるFacebook等で起こった革命のこと。
義政は政治的にはどうしようもなかったけど、このおっさんがいたから現在の京都の観光名所はできたから、京都に貢献したことになる。
複雑な気持ちになりますね。
このおっさんの好みで作られたのがこの茶室「清漣亭」。
つくられた当初は茶室という感じではなかったらしい。
見晴らしがいいもの。
でもお茶をいただきながらボーッと庭を見ていたらいいでしょうね。
こういう草庵風の仕事場があるといいな。
↑亀屋良長「芽生」
↑外郎、白あん
Twitter→@kyo_otoko
コメント 0