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ヨウカン? [甘味その他]

今日は、昨日の「丁稚羊羹」の補足的な内容。
羊羹(ようかん)は、小さい時に嫌いだった。
小さい時は、甘いものに憧れていたけど、羊羹は嫌いだった。
きっと母の実家が全員甘党だったことに起因するのかも。
家族全員が一人一本羊羹を食べた。
お彼岸になると大人の手のひらサイズのおはぎもあったしね。
あれは、恐怖だった。
ご飯にあんこをコーティングするなんて・・・。

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↑とらや「夜の梅」

羊羹って不思議な漢字ですよね。
『三国志演義』や『水滸伝』その他の小説を読むとよく、羊の羹(あつもの)というのがでてくる。
羊の羹って、羊の肉を煮たスープの類のこと。
羊の肉を煮て冷めてくると煮こごりになりますよね。
でもどう考えても、日本の羊羹にならない。

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↑喫茶・虎屋菓寮、羊羹とお茶のセット、羊羹は「夜の梅」

調べると鎌倉時代〜室町時代に禅僧が中国から禅を日本にもたらした。
当時、中国は最先端の文化や技術をもっていた。
禅僧が羊の羹も日本に持ってかえったけど、禅宗では肉食は戒律で食べられなかった。でも行事に必要だったのでしょうね。必要だった。そこで小豆と寒天、砂糖を使って似たものをつくった。
それが「羊羹」。
でも当時は、砂糖は国産ではできなかった。
だから当初は、芋をつかった芋羊羹的なものだったでしょう。
17世紀ぐらいになり、沖縄王国や奄美諸島で黒砂糖の生産が始まりようやく現在の練羊羹の形になった。
錬羊羹は、できても庶民が簡単に食べられるものではなかった。
本式の錬羊羹は、いまでも高しですからね。

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↑昨日、智積院で見かけて紅葉

清水寺の森清範貫主の話で羊羹がでてきた。
小僧だった頃、他のお寺に用事で行った時、行った先のお寺で羊羹が出てくるのが楽しみだったそうです。お寺は羊羹がたくさん飛び交う場所。もちろん小僧に食べさせるぐらいの羊羹は、表面に砂糖の結晶ができたものだった。硬くてジャリジャリしていたそうです。それでも天国・・・お寺だから極楽か・・・の味だったそうです。
そうなんです。羊羹は砂糖をたくさん使うことにより、防腐作用があるのです。
ちゃんとした工程で作られた羊羹は、1〜2年は常温で保存できるのです。

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↑なぜか履いている麻のズボンの表面がみょうに綺麗に見えた。理由は不明。

羊羹は、高級品だったので食べる時、庶民は薄くきったものです。
「早く独り立ちする羊羹が食べられるようになりたい」と思ったそうです。
いまは、羊羹ってあまり贈答に使ったりしないかも。
子供たちも羊羹なんて見向きもしない。
大人も「血糖値が・・・、糖分が・・・」などといって食べない傾向にありますね。
血糖値やカロリー的にみると洋菓子の方がずっと高いのにね。
でも普通羊羹を一人一本も食べないですよね。
しかも、珈琲で食べないですよね。玉露や煎茶などの緑茶があいます。
日本人の体質には、和菓子と緑茶の方がいいのかも。
緑茶も便利だからといってペットボトルの緑茶はいけませんよ。
色が変わったり、濁らないようなお茶は、やっぱり身体に悪いと思う。
まともな緑茶を飲むことをお勧めしますね。
そろそろペットボトルを生活から排除しましょう!
「時間がないから・・・・」なんて言わないでください。スマホの画面をボーッと眺めて時間を無駄に消費しているぐらいなら、お湯を沸かし、急須にお茶の葉をいれ、美味しくティータイムを楽しむ方が健康的だと思いますよ。もちろん、その時は、テレビなんてくだらないものは消しましょうね。

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都
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