SSブログ

六角堂頂法寺 [社寺]

P1360275.JPG

昨日の続き。
この六角堂頂法寺は、説明によると聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。そのころ太子は物部守屋と争っていたので、如意輪観音に勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立いたします」と誓いを立てました。勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立のための用材を求めてこの地に来られました。

P1360250.JPG

ある日、泉のかたわらにある多良の木の枝に護持仏をかけて沐浴をされ、終わって仏を手に戻そうとされたが、どういうわけか、枝から離れません。その夜、「お前の守り本尊となってから、すでに7世が過ぎた。これからは、この場所にとどまって衆生の救済に当たりたい」、という仏のお告げを夢で見られました。

P1360260.JPG

信仰心篤い太子は、ここにお堂を建てようと決心しました。そこへ一人の老翁がやってきたので、「この辺りに観音のお堂を建てるにふさわしい木はないか」と尋ねました。老翁は「この近くに杉の巨木があります。毎朝紫の雲がたなびく霊木です。あの木を使うとよいでしょう」と言って去りました。老翁に教えられた場所に行くと、一本の杉の木があったので、それを伐ってこの地に六角の御堂を建てて護持仏を安置されたと伝えられます。

P1360261.JPG

ご詠歌「わが思う 心のうちは 六の角 ただ円かれと 祈るなりけり」
六の角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲のこと。
つまり六根清浄を願うということ。

P1360254.JPG
↑へそ石

ここは、「西国三十三所巡礼」の十八番目の札所。
また「洛陽三十三所巡礼」の一番目の札所でもある。
如意輪観音菩薩を本尊としていまも巡礼に来られる人は多い。

P1360248.JPG

よく「三十三」というのが出てきますね。
・西国三十三所巡礼
・洛陽三十三所巡礼
・三十三観音
・三十三天(マルチ商法であった円天とは無関係)
・三十三間堂
・三十三回忌(お寺じゃないけど)
・チリの炭坑から救出された三十三名のおっさんたち(これもお寺やないけど)

P1360256.JPG

これは、法華経の普門品(観音経)に説かれる観音菩薩の「三十三応現身」に由来する。
観音菩薩が三十三の姿に変化してあらゆる衆生を救ってくれるというもので、日本ではそれを発展させて独自に三十三観音を生み出した。
古代インド人にとって「三」は神聖な数字であると共に「多数」を意味するものでもあった。

P1360257.JPG

ちょうど日本では「八」を用いた数字で「多数」をあらわすような感じかな。
一つで「多数」を意味する「三」を重ねた「三十三」は数えきれぬほど多い、つまり「無限」をあらわすことになるといわれている。

Twitter→@kyo_otoko
タグ:京都 社寺
nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 2

はまひるがお

おかげさまで六角堂の由来もわかりました。そして六根清浄のことも。
by はまひるがお (2010-10-24 10:21) 

京男

>はまひるがおさん、こんにちは。
こういう由来は書き始めたらきりがないぐらいでてきますね。
池坊との関係ももっと書きたかったな。
六根清浄は永遠のテーマですよね。人間の。
by 京男 (2010-10-25 14:51) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。