南北朝時代か・・・等持院 [社寺]
ここは、等持院。
臨済宗天龍寺派の寺院。山号は万年山。
嵐電の北野白梅町の一つ手前の駅で降りていきます。
こんな説明では、京都以外の人にはわからないか。
足利尊氏が暦応4年(1341年)に中京区柳馬場御池付近で建立し、その2年後の康永2年(1343年)、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立したとされている。この柳馬場御池本寺が応仁の乱で焼けたので、いまの別院である等持院が本寺になった。
時代的にいうと南北朝時代の後にできたことになる。
後醍醐天皇(南朝)と光明天皇(北朝)の日本全体を巻き込んだ争い。
宮中と武家の覇権争い。
日本史的には面白い。
その立役者の足利尊氏はたしか真田広之かな。
NHK大河ドラマ「太平記」ね。
このころの大河ドラマの方がよかったかも。
↑方丈の廊下は鶯張り(うぐいすばり)でした。こういう時はなぜか音をささないように歩く習慣がある。なんでやろ・・・昔、忍者でもしていたのかも。
閑話休題
等持院は、足利尊氏の墓所なんです。
足利の歴代将軍の像が霊光殿に納められています。
これって結構面白いですよ。
木造に個性がでているように見えました。
それと夢窓国師作がつくったというお庭がいいです。
奥行きがとてもあるように見えるのです。
観光客も少なくゆっくり境内を楽しむことができました。
Twitter→@kyo_otoko
2011-02-20 07:04
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コメント(2)
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十何年か前に訪れたことがあります。薄れしまった記憶が少し甦ってきたような気がします。衝立の絵が印象的ですね。
by はまひるがお (2011-02-20 23:58)
>はまひるがおさん、おはようございます。
この達磨さんの絵は印象的ですよね。
一度見ると忘れられない。
by 京男 (2011-02-23 05:56)