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ティッシュのような花たち・・・乙訓寺の牡丹 [社寺・和菓子]

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ここは、長岡京市にある乙訓寺。
正式なお名前は、大慈山乙訓寺(だいじざんおとくにでら)。
古いお寺なんだそうです。
お寺の説明によると
乙訓寺は太秦の広隆寺(603年創建)とほぼ同じく約1380年前の創建と見られ、寺伝では推古天皇勅願、聖徳太子創建となっている。これを裏付けるように、発掘調査の結果も、設計には法隆寺と同じ高麗尺が使われているという。

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↑こういう色合いが好きかな

弘法大師は弘仁二年(811年)11月9日、乙訓寺の別当(統括管理の僧官)に嵯峨天皇から任命され、この寺に在住された。
大師在任中の弘仁3年10月27日、弘法大師と同時に入唐、大師よりかなり早くに帰国していた最澄は空海をこの寺に訪れ、真言の法を教えてほしいと頼んだ。大師は親切丁寧にその法を伝授した。
在唐期間の短かった最澄はその後も再山空海との交流を深め、二人はそれぞれ日本真言宗(弘法大師)、日本天台宗(伝教大師)を確立、それまでの日本仏教の流れに大きな変革を与えた。

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弘法大師が中国から持ち帰られた仏典は、最澄も驚くほど、これまで日本にないものばかりであった。嵯峨天皇は大師の新しい法に期待され、乙訓寺を鎮護国家の道場として整備された。
大師はこの寺で仏典を研究される傍ら中国から持ち帰ったみかんの木を栽培されたり、狸の毛で筆を作ったりされた。みかんは当時、西域渡りの珍果であった。大師は「沙門空海言さく。乙訓寺に数株の柑橘の樹あり。例により摘み取り、来らしむ。・・・」としたため、「・・・よじ摘んで持てわが天子に献ず」の詩を添えて、嵯峨天皇に献上された(性霊集)。
この史実に基づき、今、客殿前にはみかんの大樹がある。また「狸毛筆奉献帳(伝空海)」も醍醐寺に現存している。

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これ以上引用しても長くなるので以下省略します。
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↑ツツジも負けていません

空海さんと縁が深いお寺なんですね。

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このお寺の境内には、たくさんの牡丹が咲いています。
牡丹は、不思議な花。
大きいしティッシュペーパーで作ったみたいで。
しかも派手だし。
中国のイメージが強いかな。
蓮よりも現世に近い感じがする。

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↑千本玉寿軒「牡丹」

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↑こなし、白あん

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