あなたも国宝?! [風景]
最近、いろいろ考えます。
1990年ぐらいだったかな、1月10日の記事の先生とは違う先生から最長の言葉を聞いた。
以下のような言葉だった。
↑本当は比叡山延暦寺の写真がベストだけど、ありません。今日の写真はすべて建仁寺。
最澄は、
「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す。・・・一隅を照らす。此れ則ち国宝なりと・・・」
この言葉は、最澄が『山家学生式』人づくりの制度の序文に書いた言葉です。
道心(どうしん)ってなんだろう?
道を修めようとする心、つまり、一つの道を究めようとする心のこと。
自分の仕事や役割を天命と信じ、目標と理想を定め、その実現にむかってひたすら努力する。
「道心」を持つ人が多いほど国や社会は栄える。
「道心」を持つ人こそ、なくてはならない国の宝なのです。
ただ、何を自分の天命と信じるかが問題。
この世に生きていると我欲いっぱいの中で思うことが天命と錯覚してしまうのが人間。
これはものすごく難しい問題め。
いま自分は我欲で判断しているのか、そうでないのか。
自分の立場も離れて自分を観ているか?
天台宗の厳しい修行は、この我欲との闘いなのかも。
でも我欲はなくすことはできない。
なくしたらこの世で生きていけないもの。
でも我欲から離れることは可能ですが。
ひょっとしてひたすら厳しい環境で修行をする出家より、俗世間で欲にまみれた中で生きている在家の我々の方が天命を知りやすいかもしれない。
本当は自分が何をしたいのか?
わくわくして日々生きているのか?
「ずっとやっているから 」「社会的にそういうものだ」「やっぱりお金も必要でしょ」なんて、いいわけをして逃げているかもしれませんね。
人間はいずれ必ず死にます。
「死ぬ時にもっていけるものはなんだろう?」と考えています。
もっていけるものに専念している時は至福の時、幸福感を持てるんだと思う。
別に特別なことでなくてもいいように思う。
人と比べる必要なんてないのです。
こんな詩がメモしてある。
「花が咲く
いつでもどこでも
花が咲く
花壇に咲くのは
目立つけど
花が咲かなくなったら
植え替えられる
花が咲く
四季折々に花が咲く
春にさくもの
冬に咲くもの
みなそれぞれ美しい」
いまの日本は、宝の箱ばっかり作って中身のお宝を作っていないように思える。
お金儲けや景気をあげるのもいいけど「何のため?」というのが希薄。
国のエリートといわれる人たちは、道心というものがないのかな?
高度な学歴が邪魔するのかな?
なんのために小さい時から死ぬほど勉強してきたのでしょう?
だいたい「勉強」という文字が嫌いなんです。
中国では「勉強」というと嫌なことを無理無理することなんだそうです。
私は「学ぶ」でいいと思う。
できれば深く深く学びたい。
今日の記事は無意識に書いてしまいました。
適当に読みとばしてください。
Twitter→@kyo_otoko
1990年ぐらいだったかな、1月10日の記事の先生とは違う先生から最長の言葉を聞いた。
以下のような言葉だった。
↑本当は比叡山延暦寺の写真がベストだけど、ありません。今日の写真はすべて建仁寺。
最澄は、
「国宝とは何物ぞ。宝とは道心なり。道心有るの人を名づけて国宝と為す。・・・一隅を照らす。此れ則ち国宝なりと・・・」
この言葉は、最澄が『山家学生式』人づくりの制度の序文に書いた言葉です。
道心(どうしん)ってなんだろう?
道を修めようとする心、つまり、一つの道を究めようとする心のこと。
自分の仕事や役割を天命と信じ、目標と理想を定め、その実現にむかってひたすら努力する。
「道心」を持つ人が多いほど国や社会は栄える。
「道心」を持つ人こそ、なくてはならない国の宝なのです。
ただ、何を自分の天命と信じるかが問題。
この世に生きていると我欲いっぱいの中で思うことが天命と錯覚してしまうのが人間。
これはものすごく難しい問題め。
いま自分は我欲で判断しているのか、そうでないのか。
自分の立場も離れて自分を観ているか?
天台宗の厳しい修行は、この我欲との闘いなのかも。
でも我欲はなくすことはできない。
なくしたらこの世で生きていけないもの。
でも我欲から離れることは可能ですが。
ひょっとしてひたすら厳しい環境で修行をする出家より、俗世間で欲にまみれた中で生きている在家の我々の方が天命を知りやすいかもしれない。
本当は自分が何をしたいのか?
わくわくして日々生きているのか?
「ずっとやっているから 」「社会的にそういうものだ」「やっぱりお金も必要でしょ」なんて、いいわけをして逃げているかもしれませんね。
人間はいずれ必ず死にます。
「死ぬ時にもっていけるものはなんだろう?」と考えています。
もっていけるものに専念している時は至福の時、幸福感を持てるんだと思う。
別に特別なことでなくてもいいように思う。
人と比べる必要なんてないのです。
こんな詩がメモしてある。
「花が咲く
いつでもどこでも
花が咲く
花壇に咲くのは
目立つけど
花が咲かなくなったら
植え替えられる
花が咲く
四季折々に花が咲く
春にさくもの
冬に咲くもの
みなそれぞれ美しい」
いまの日本は、宝の箱ばっかり作って中身のお宝を作っていないように思える。
お金儲けや景気をあげるのもいいけど「何のため?」というのが希薄。
国のエリートといわれる人たちは、道心というものがないのかな?
高度な学歴が邪魔するのかな?
なんのために小さい時から死ぬほど勉強してきたのでしょう?
だいたい「勉強」という文字が嫌いなんです。
中国では「勉強」というと嫌なことを無理無理することなんだそうです。
私は「学ぶ」でいいと思う。
できれば深く深く学びたい。
今日の記事は無意識に書いてしまいました。
適当に読みとばしてください。
Twitter→@kyo_otoko
京男さん、おはようございます。
難しいですね。
自分がやりたいことばかりワクワクしつつ楽しんでやっていたら人々の生活すら成り立たなくなりそうですね。限りある命だからこそやらねばならないことの中にワクワクする事を見つけ楽しみながらやれれば一番良いのでしょうか。
書家の相田みつをさんが「花はただ咲くから美しい」って書いてました。自分と言う花をただ咲かせているから美しいと。分かる気がしますね。
by keiko (2012-01-16 08:28)
>keikoさん、おはようございます。
「あるがまま」と「わがまま」との違いです。
特別なことをする必要もないのですよ。
自分がワクワクできればいい。それが仕事ならもっといい。家事でも趣味でもいいのです。死ぬ間際にやっぱりやったらよかったはないですからね。食べたいものがあれば食べておく。「喰いを残す」ことのないようにね。私は昨年三回ぐらい死にかけてそう思いました。毎日が誕生日で命日という気持ちなんですよ。彼岸に行くとそんな気持ちになりますね。怖いモノなんかなにもないですから。「喰いを残すこと」が怖いかな。
by 京男 (2012-01-16 08:47)
思わずコメント内の「喰いをのこすことなく」に共感してしまいました。食べるのが好きな私には、美味しいものを食べることがわくわくすることの一つだったり。難しいことを考えるのは苦手ですが、ちっちゃなひとつでも、わくわくがあれば、毎日が楽しくなりますよね?
by お昼寝ねこ (2012-01-16 21:55)
>お昼寝ねこさん、こんばんは。
「喰い残すことのない人生が一番」。
食べ物が好き、ワクワクするのならそれもいいのです。
人に迷惑をかけるわけでもないしね。
極めることです。極道の道かも。(笑)
by 京男 (2012-01-17 22:25)