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良知にいたる [風景]

別に中澤良知さんの家に行ったということではありません。
それ誰やネン?でたらめに書きました。すんません。
ハードディスクの中に過去の書き写したテキストがたくさんあります。
それを読んでいると面白い。
なにかの参考になったら幸いです。

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至良知(良知にいたる)
良知とは、良心であり、美しい心であると説かれています。
そして良知にいたるには「5つのことを心がけなさい」と実践を促したそうです。
1.なごやかな顔つきをすること
2.思いやりのある言葉で話しかけること
3.澄んだ目でものごとを見つめること
4.耳を傾けて人の話を聴くこと……聞くののではなく「聴く」のが重要
5.まごころをもって相手を思うこと

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致良知(ちりょうち)は、中国の明のときに、王守仁がおこした学問である陽明学の実践法の一つ。
人間は、生まれたときから心と体(理)は一体であり、心があとから付け加わったものではない。その心が私欲により曇っていなければ、心の本来のあり方が理と合致する。王守仁は、実践に当たって私欲により曇っていない心の本体である良知を推し進めればよいと主張した。

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『大学※』にある「格物致知」という言葉に対する解釈より生じたものであり、朱熹が「知を致すは物に格(いた)るに在り」とし、万物の理を一つ一つ極めて行くことで得られる知識を発揮して物事の是非を判断するとするのに対し、王守仁は「知を致すは物を格(ただ)すに在り」として物を心の理としてそれを正すことによって知を致す、すなわち「良知を致す」ことであると解釈した。
※大学(だいがく)とは儒教の経書の一つ。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされた。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子に作られたとも秦漢の儒家によって作られたとも言われる。

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京男は陽明学はあまり好きになれないけど、この言葉はいい。
ただちょっと改良したくなった。素人の思い付きなので陽明学研究の方、お許しください。

1.なごやかな顔つきをすること
 ※なごやかな顔というより「気」を発すること
2.思いやりのある言葉で話しかけること
 ※声に「気」をのせること
3.澄んだ目※でものごとを見つめること
 ※澄んだ目とは、自我を登場させない状態で見つめること
4.耳垢のない耳※で、人の話を聴くこと
 ※耳垢のない耳とは、澄んだ目と同じく、自我を登場させずに聴くこと
4B.「耳は2つ、口は1つ」しゃべるより倍聴きなさい→反省しています
4C.3と4で「あるがままに見聞きする」→「あるがままに観る」
5.真我をもって相手を思うこと
 「真我」とは、「意識」や「無意識」より深いレベルにある自分。
 大宇宙に繋がっている自分の部分。当然相手とも繋がっている。
 「自即多」なのです。

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守仁(初名は雲、のち守仁と改名された)は「事物の理は自分の心をおいてなく、それ以外に事物の理を求めても、事物の理はない」という、心即理を明らかにした。また、天地に通じる理は自己の中にある判断力(良知)にある(良知を致す=致良知の説)と主張しています。でもなんだかわかりにくい。
それで5の表現にしてみました。

かりにその通りだとして、どうやってそれを実現するのかが問題やね。
暑さで頭がオーバーヒートしているのかも。

Twitter→@kyo_otoko
タグ:風景 京都
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