黄葉はもう少しか・・・ [社寺]
今日の写真は、西本願寺。
黄葉は、もう少し時間がかかりそう。
綺麗な黄葉を期待するという欲を出すとうまくいかない。
なにげなく行った方がいいようです。
ただし、最近なかなか黄葉や紅葉を見にブラブラとする時間がない。
昨日もジッとするつもりが家でお昼ご飯を食べ、急に大阪に行かないといけなくなった。京女に「行きたい?」と聞くと「行く」との返事。
用意を10分でし、15分後にはバスに乗っていた。
京都駅からJRの新快速に乗り、13時前には大阪だった。
京女は、行きたいというお店に連れ行き、私は用事の場所へ。
用事を20分で終わらせ、京女と落ち合う。
彼女も用事を済ませていた。
そして、また新快速に乗り京都駅へ。
京都駅では、買い物ぜずにバスに乗り、家に帰りました。
所要時間は、3時間ぐらい。
家に帰ってしばらくすると荷物が届いた。
そうなんです、荷物を受け取らないといけない。
夜にも荷物が届く予定もあった。
その前の日は、奈良だったしね。
夫婦で駆け足。
私より女房の方が足が速い。
京都駅や大阪駅で、歩いている人が邪魔なんですよ。
避けるのが大変です。
階段の登り降りも高速走行。
エスカレーターも最近乗らないのです。
駅のエスカレーターは、キャスター付きのケースが妙にじゃまなんです。
エレベーターに乗れば危ないないのに・・・。
動くと暑いのです。
あまり厚着はいけません。
なんか写真と全然関係ない話しを書いてしまった。
まあ、見たら分かりますよね。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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Twitter→@kyo_otoko
知恩院2 [社寺]
知恩院の続き。
本日は、なにの説明でなく、撮りたい所を撮影してあります。
本来なら建物の奥も見たらいいのですが、建物の中まで入るのが邪魔くさかったのです。靴を脱ぐのが邪魔くさい。
円山公園からなので、そろそろ帰りたくなったのかも。
この知恩院、建物が立派で圧倒されます。
でもどうも抹香臭いのが好きになれない今日この頃。
法然上人の教えってどうだった?
高校の時、何をならっていたのか?
そう思う今日この頃。
でも、我が家の子供なんかは、公立の学校だから、全然宗教はわからない。
そういう人が多いのかも。
↑ここが「女坂」ちょっと緩やかになっている
そういう若者もハロウィンなんかはする?
クリスマスなんかも。
不思議ですね。
でも騒ぐだけで、宗教の内容はわからない。
心の不安は、どんどん大きくなる。
それでいいのかな?
変な宗教に惑わされないように生きて欲しい。
↑三門を横から見たところ
こういう境内を歩くといろいろな考えが頭に浮かびます。
こういう空間は、人間の念いが集まっている場だからなのかも。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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知恩院 [社寺]
↑三門
知恩院(ちおんいん)は、浄土宗の総本山の寺院。山号は華頂山(かちょうざん)。
開山は法然。
最近、吉川英治の『親鸞』を聴いたので、法然と親鸞の話は、妙に憶えている。
↑男坂、京女は高校の時、この男坂をランニングで登っていたらしい。彼女はバスケット部だった。明日の記事に出てくる女坂というのもある。
↑三門の裏側
↑石垣が結構立派
↑結構な高さなんです
高校の時、浄土宗系だったので法然さんの話は、知っております。私学は習ったりします。宗教の時間がありますからね。京女も同じ系列の高校だからくわしいはず。
テストでは、100点近い点数だったけど、内容はそれほど憶えていなかった。
京女の方が戒名を持っていたりする。私には戒名はない。
女子校の方がキッチリしているのかな?
やっと上がりました。
男坂は、登ると結構足に来ますね。
手摺がないからちょっと怖い。
↑御影堂
↑阿弥陀堂
↑寳佛殿
「阿弥陀」という漢字が住所に入っているのですが、書く時、漢字が書けなかったりします。京都市内の住所ってなんで長ったらしいのかな・・・。
困りますよ。
そうそう、そろそろ年賀状の季節。来春は、我が家は喪中なんです。
昨日、喪中葉書を発注しました。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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円山公園から知恩院へ [社寺]
昨日は、雨でしたね。
でも昼頃には、ちょっと止みました。
取りあえず買い物へ。
結局、傘は必要ない状態でした。
それほど寒くもないし・・・。
さて、以前の八坂神社からの続きです。
写真は、坂本龍馬と中岡慎太郎の像。
これって二代目らしい。戦争(応仁の乱でなく、大東亜戦争)の時、銅を供出した。1962年に出来たものらしい。「なんや年下なんか・・・」
維新の時の若者は、大活躍した。
いまも新しい時代が来るように思うけど、元気のいい若者はどこにいる?
もうだめなのかな?日本。
こうやって円山公園を見ていると京都でないように感じます。
もっと観光客も散策したらいいのにね。
歩いていて悪くないもの。
あまり人もいないしね。
円山公園の桜の時ぐらいかな?人が多いのは。
観光客は、あまり見るものもないからこない?
私も滅多に来ないから、これからのシーズンはどうなんだろう。
円山公園から知恩院へ行けます。
観光の人って、こういうのは見に来るのかな?
妙に人が少ない。年寄りしかいないしね。
さて知恩院の三門です。
知恩院の門は、「三門」と書きます。
これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という意味らしい。
それにしても大きな門です。日本最大級の木造の門。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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でも昼頃には、ちょっと止みました。
取りあえず買い物へ。
結局、傘は必要ない状態でした。
それほど寒くもないし・・・。
さて、以前の八坂神社からの続きです。
写真は、坂本龍馬と中岡慎太郎の像。
これって二代目らしい。戦争(応仁の乱でなく、大東亜戦争)の時、銅を供出した。1962年に出来たものらしい。「なんや年下なんか・・・」
維新の時の若者は、大活躍した。
いまも新しい時代が来るように思うけど、元気のいい若者はどこにいる?
もうだめなのかな?日本。
こうやって円山公園を見ていると京都でないように感じます。
もっと観光客も散策したらいいのにね。
歩いていて悪くないもの。
あまり人もいないしね。
円山公園の桜の時ぐらいかな?人が多いのは。
観光客は、あまり見るものもないからこない?
私も滅多に来ないから、これからのシーズンはどうなんだろう。
円山公園から知恩院へ行けます。
観光の人って、こういうのは見に来るのかな?
妙に人が少ない。年寄りしかいないしね。
さて知恩院の三門です。
知恩院の門は、「三門」と書きます。
これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」という意味らしい。
それにしても大きな門です。日本最大級の木造の門。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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今熊野観音寺・医聖堂 [社寺]
さて、昨日の記事の続き。
今熊野観音寺からさらに山の上に登って行きます。
結構な坂です。
↑稲荷社
↑熊野権現社
↑この社はわかりません
久しぶりに来ました。
行く前に色んな社があります。
よくわからない社もありました。
↑医聖堂
さて、かなり坂を登り医聖堂に到着。
すごく久しぶり。
平成28年に丹塗り塗り替えをされたようで、すごく綺麗な丹塗りです。
平安様式なので古くからあるように見えます。
医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立致しました。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。
このリストにある先生を2人知っております。
実際にお話しを聞いたのです。
神職のような雰囲気でしたね。いまの医者にはそういう人は少ないですね。
新型コロナ騒動、あの先生たちならどのように仰るだろう。
「医道」と仰っていたな。「医道」ですよ。医療ではない。
日本人は、なににでも「道」をつけます。
ただ知識だけではなく、智慧の力で人を癒すと仰っていた。
いまでも日本のどこかに「医道」の考え方の先生は居られるだろうな。
そういう人には、出会いたい。
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今熊野観音寺からさらに山の上に登って行きます。
結構な坂です。
↑稲荷社
↑熊野権現社
↑この社はわかりません
久しぶりに来ました。
行く前に色んな社があります。
よくわからない社もありました。
↑医聖堂
さて、かなり坂を登り医聖堂に到着。
すごく久しぶり。
平成28年に丹塗り塗り替えをされたようで、すごく綺麗な丹塗りです。
平安様式なので古くからあるように見えます。
医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、との住職の願いを込めて建立致しました。
この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。
このリストにある先生を2人知っております。
実際にお話しを聞いたのです。
神職のような雰囲気でしたね。いまの医者にはそういう人は少ないですね。
新型コロナ騒動、あの先生たちならどのように仰るだろう。
「医道」と仰っていたな。「医道」ですよ。医療ではない。
日本人は、なににでも「道」をつけます。
ただ知識だけではなく、智慧の力で人を癒すと仰っていた。
いまでも日本のどこかに「医道」の考え方の先生は居られるだろうな。
そういう人には、出会いたい。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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