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憧れ三角? [風景・和菓子]

そろそろ夏越祓やね。
もう半年経った。
挨拶に「はやいでんなぁ・・・もう半年経ちました」となります。
そんな時「このぶんでいくと、もうすく死にまんなぁ・・・」と応えてあげてください。会話が弾みますよ。

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↑新日吉神宮の茅の輪

私の子供の頃は、冷蔵庫がなかった。
国産の冷蔵庫は昭和30年代ぐらいから一般家庭で使い始めた。
いわゆる三種の神器(さんしゅのじんぎ)の時代。
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種。
これは、家庭にとって革新的なものでした。

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↑千本玉寿軒「氷室」

遠い記憶で、洗濯機にゴムのローラーが付いていて、洗った洗濯物をしぼっていたのを憶えている。
テレビも白黒画面に「月光仮面」のマンモスコングが映っていた。子供心に「ちょっとチャチやな・・・映画の「キングコング」を見ていたからでしょうね。
冷蔵庫は、一番古くからあったように思う。冷蔵庫の中に銅板が貼ってあり、氷屋さんが大きな氷を持ってきて、その氷で冷やすというワイルドなもの。

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↑くず、黒こしあん

電気冷蔵庫がなかったから京都市内では、魚といえば塩鯖か鱧、泥鰌・鰻・鯉・鮒だった。外食でも「海鮮丼」や「ローストビーフ丼」なんてなかった。肉といえば「かしわ(鶏肉)」ぐらいなもんでした。
炊飯器なんてのもなかった。夏のお風呂だって庭で盥を出して行水。夜は蚊帳を吊って寝ていた。扇風機もよく考えたら無かったかも・・・。もりろん、電話なんてのも全家庭になかった。ネットも当然ないですよ。
トイレなんかも汲み取り式だった。近隣の農家が汲みに来たはった。肥料にする為です。私は経験ないけど、野菜とかをくれはったそうです。
トイレがあの頃、怖かったものです。
街が暗く、家庭の照明も暗かった。

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↑音羽屋「水無月」黒糖外郎、小豆

平安時代ならもっとワイルドでした。
夏は、暑気払いにいいしの人らは、冬の氷を氷室で保存し、出してきて甘葛(あまずら)で甘味をつけて食べていた。
その頃は、砂糖なんてものは日本になかった。蜂蜜はあったと思うけど。

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↑紫野源水「水無月」本葛製

清少納言姉さんも『枕草子』でかき氷のうえに甘葛シロップをかけて食べたと書いたはります。
でもそんなことは、宮中の人らで、我々同様の庶民たちは、氷室から氷に甘葛シロップなんてできなかった訳です。
どうしたかというと、三角形(氷を象徴しているらしい)の食べ物をつくって、暑気払いをしたのだそうです。
三角形の冷や奴とか、三角形の大根の漬物、三角形のおむすび、三角形のカマボコ、逆三角形のお兄さんやお姉さん、三角関係で涼をとっておりました。

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↑京都鶴屋「水無月」葛

「水無月」という京都固有のお菓子(商標の関係で他府県に広がらなかったらしい)を庶民は食べておりました。
いつから「水無月」ができたのか、ようわかりません。
この「水無月」というお菓子、最近あまり食べたくなくなった。
外郎が嫌なんだろうな・・・田舎臭い感じがするからかも。
本葛の透明感のあるのが最近のトレンドやね。
だから、全面的に憧れでもないお菓子となりました。

和菓子

和菓子

  • 作者: 中村 肇
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2013/01/26
  • メディア: 単行本


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Twitter→@kyo_otoko
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