「変」はここで起こっていません・・・本能寺 [社寺・和菓子]
↑寺町通、御池通のちょっと手前にある本能寺
ここは、寺町通にある本能寺。
本能寺といえば、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、織田信長が明智光秀に寝込みを襲われた場所。
ホテル本能寺に信長が宿泊していたわけではありません。
というか、本能寺変の場所は、いまの場所ではないのです。
現在の地図でいうと、東は西洞院大路、西は油小路通、南は四条坊門小路(現蛸薬師通)、北は六角通に囲まれた4町分の区画にあって、東西約140メートル南北約270メートルというかなり広大な敷地に、周囲と隔てられて存在した。
作りがちょっとしたお城のようなものだったらしいけど、そこに警備の人数が色々説があるけど、30〜160人と少なすぎると思う。そこへ1万3000〜2万人が押し寄せたから、どうしようもなかったでしょう。
余談ですが、この前の場所の近くのマンションに結婚後しばらく住んでおりました。
一番高い家賃だったなぁ・・・。バブルでしたからね。
昔の本能寺の場所には、本能寺小学校があった。それもなくなり、いまは特別養護老人ホームとなっています。
当時の示す石碑も本来の場所から移動したそうです。
その特別養護老人ホームに夜になったら信長さんがウロウロしているのかなぁ・・・。
そんな話は、よくありますよ。
新しく建築されたビルで夜になると武士の服装をした人が歩いていたり、お皿が突然飛んだりするビルがあるそうです。
あるファッションビルでは、確実に出る場所があると勤めている人から聞いたことがあります。
京都のホテルでも部屋によっては出る部屋があります。
老舗旅館でも一番いい部屋で寝ていたら枕元に着物をした女性が座っていたというのも体験した人から聞いたことがあります。
だから京都にみなさん止まりたがるのかな?楽しいですからね。廊下でチャンバラをしたりしますから。
でも最近、外国人が多いから霊達はどうしているだろう?言葉が通じない場合がありますからね。霊でも国際観光都市なんだから英語・中国語・韓国語ぐらい話せないと仕事になりません。きっと外国人に憑いてきた霊との闘いのようなことが起こっているのかもしれません。海外の霊の方がたちが悪そうだし・・・。
↑千本玉寿軒「小梢の秋」
↑以前はこしあんだったけど、今回は栗あんになっていました。
↑こなし、栗あん
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
Twitter→@kyo_otoko
民生党に2票! [洛外・食]
ほんの少し秋のような気温になった。
昨日は、珍しく休みにする。
「民生の料理を食べるぞ!」と宣言。
そうなるとすぐに動くのが私のやり方。
京女もそういう趣旨なら同行します。
↑萱島民生、イカ天ぷら(小)
体調というか口の中は、まだ歯の工事箇所の抜糸がまだできていなくて、ぽっかりと穴があいている。また穴の縁が舌に当たって痛い。口の中が口内炎だらけと食事をするには、ベストコンディションとは言いがたい。
でもね。ここ一週間ロクなモノを口にしていない。
口の右側しか使えない。
いまから思うと偏頭痛や肩首の凝りは、歯の根元の雑菌の影響だった。
それが証拠に工事をしたら、それらが無くなった。
肩も軽くなった。
2011年8月、自分の部屋で痙攣を起こし、舌を噛み死にかけた事件の時の影響がまだ残っていたのです。歯の根元にヒビが入っていたらしいのです。そこがジワジワ広がり、そこに雑菌が侵入していた。今年になり体調を崩していたようで、雑菌の数が増え、身体はそれにたいして戦ってくれた。結果、膿が出て来た。でも歯茎から外にでられなくて腫れてきた。
それが先々週の話。
歯の奥に圧力を感じるのはとても不快でしたね。
↑古老肉(すぶた)
工事は、荒事がお得意なドクターに依頼しました。
その場で処理してくれた。
結構大変そうな工事でしたね。
被せを取り除き、ヒビがいっている方の歯を切って取り除き、いまは傷を縫ってあります。来週抜糸。構築作業はその後開始予定。
あの被せを外した時の匂いがドブの匂いだったのが印象的。
清浄な京男にあるまじき臭気。
いまも消毒と化膿止めを飲んでいる。化膿止めと私は相性が悪いのか身体が痒い。でもしかたない。
↑青菜と豆腐炒め
だから食事をするというのは、久しぶりだったかも。
そこで本日の写真となりました。
本当はもっと食べたいのですが、片方の歯だけで食べるのがつらい。
こんな注文になりました。
まあ、満足いたしました。
また、来月行くような気がします。
定休日と駐車場を確認して置きました。
↑ワンタンめん
食事をして後、大阪の万年筆専門店に行きました。
父親のために筆記具を手に入れるてめでした。
店頭在庫は確認してあるので、受け取るだけ。
通販でもいいのですが、最近の情報を入手したかった。
それと最近、なんでも通販がちょっと嫌になってきたのです。
自分で出向くことも大事です。専門家と話すことで生の情報が得られる。
ネットの噂なんていい加減なモノが多いしね。
食べ物の情報なんかもそうですよ。テレビなんかもそう。自分で行って食べてみないといけません。食べなくてもお店を見るだけでもわかります。うまいか不味いかぐらいはね。テレビでも注意深く見るとわかります。
↑杏仁豆腐
いま選挙活動をしていますよね。
顔や声を観ればわかります。この人、本当は何を考えているのか。
悔しいのは、絶対コイツだけは当選させたくないというマイナス票が投票できないこと。
あんな人達がいるのは、われわれ国民のレベルにあった人なんでしょうね。
もっと国民一人一人がしっかりしないとね。
「なんでもお任せ」はいけません。
自分たちの生活は自分たちで守りましょう。
※写真と文がシンクロしていませんね。私と会った人はこんな感じだと気付かれるでしょうね。こんな感じなんです。頭に次から次へと浮かぶ。時々、いいことも話すらしい。
※投票に行って「民生党」って書きそうや。美味しそうだしね。
↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをします。詳しい説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)
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「三条寺町」or「寺町三条」 [風景・和菓子]
↑「梅園」になってしまった「キッチンりゆうかい」の方が味わい深かったのにな。
京都の交差点名でどちらが正解か悩む時はありませんか?
京都市内の道路は、平安京の名残をとどめているので、碁盤の目のようになっている。しかも山と川があるので方角がわかりやすいのです。
私は、生まれも育ちも京都人。
そんな人間は、碁盤の目のような道と山で迷ったりしない。
東京に行くと山が見えないのでとても不安になる。
方角がわからないからです。
↑三嶋亭
でも交差点でここは、どういう地名になる?と考えるとちょっと悩む時がある。
自分が住む近所なら地名で悩んだりしないけど、ちょっと離れた所だとどう表現したらいいのか悩む時がある。
タクシーに乗って指示をする場合なんかもそうです。
平安京は、中国・唐の長安にならい「条坊制」を取り入れた。
都を縦横の大路で区切り、東西の区画を「条」、南北は「坊」と呼んで地所の表記とした。公文書の順序は「条」が先になる。平安末期には庶民に身近な通りを組み合わせた呼称が増えるが、東西を先に呼ぶ習慣は引き継がれたのです。
↑三嶋亭
タイトルに対する答えは、三条通が東西で、寺町通が南北なんです。
だから東西の三条通が先になる。
つまり「三条寺町」となるのです。
↑かに道楽、ここは入ったことがない。
「東西南北」というのも偉い順なんです。
東の方が西より偉い!
南の方が北より偉い!
↑矢田寺
五山送り火で一番偉いのが「左大文字」。京都市の地図でいうと東になる。地図でいうと右側になるのにです。小さい時は、これでちょっと悩んだ。「地図の右にあるなら右大文字?」と思いますよね。
これは、天皇さんの政務をする時、「君子南面」つまり天皇さんは、南を向いて仕事をされるのです。天皇さんは、南を向いたはるから左大文字となるのです。
しかも東山から太陽が昇る。だから東山の方が西山よりも偉いのです。
南の方が北より偉いのです。
↑亀屋良長「秋風」
お雛さんの並びも本来は、男雛が向かって右、女雛は左が正解なんです。
これが大正天皇即位の礼の時、諸外国来賓の人達に合わせるために、天皇が向かって左に立たれた。明治の文明開化の影響なのかも。以来、関東の雛人形の並びが変化した。でも京雛は、昔ながらを継承している。
↑きんとん、粒あん
脱線ついでに「上ル、下ル」についても書いておきます。
先ほど「君子南面」と書きました。
天皇さんは、北を背にして南を向いて仕事をされます。
だから、天皇さんの所に行く(つまり北に行く)のを「上ル」といいます。
逆に天皇さんから離れて行く(つまり南に行く)のを「下ル」といいます。
タクシーで「そこの道を北に行ってください」という時「そこの道を上がってください」で通じます。時々他府県の人がタクシー運転手になりたてだったりすると「?」となりますけどね。
私が家に帰る時「馬町を東に登ってください」といいます。坂を登る訳ですから。
逆に出発する時「女坂を転がり落ちてください」なんか女性の群れに転落していくイメージがして面白いけど、こんな風にはいいません。
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昔からの景色 [風景]
↑サラリーマン時代、徒歩で会社に通っていた30分ぐらいだった。本日の写真の景色の場所を通っていた。このお菓子屋さんが九官鳥を飼っていたな。
京都市内は、急速に景色が変化して来ている。
昔からあったお店が閉店するということが多くなりました。
建物って、壊してしまうと前に何が建っていたか忘れてしまうものですね。
新しくオープンするお店は、京都風とじゃなく、関東のお店が多い。
↑昔、お菓子といえばこんなのが多かった。
どうしても京都市内でないといけない食べ物なんて無くなってきている。
ホルモン焼、ラーメン、餃子、海鮮丼、ローストビーフ・・・どれをとっても京都らしくない。
観光客が歩きながら食べるというのも最近の話。
飲み物を飲みながら歩くのも最近。
昔は、そんなお行儀の悪いことはしないというのが普通だった。
それが中高年の女性でもやっている。
熱中症が流行ってきた?からかな。
テレビが脅しますよね。
天気予報で必ず「熱中症にご注意ください!」とアナウンスする。
街中を歩いていて、熱中症になるなんてよほどのことじゃないのかな?
↑ここのタワシ屋さんも古くからこの状態
漢方では、水毒という考え方がある。
水も摂り過ぎると害になる場合があるようです。
だから歩きながら飲む必要なんてないと思う。
錦市場は「京の台所」といわれ観光客がたくさん行きます。
行くとびっくりします。
観光客が食べながら歩いている。
なかには竹串に鮪の刺身を刺してモノまである。それを見て「あれが本当の刺身なんだ」と妙に感心したりした。関東では、握り寿司、天麩羅、刺身も立ち食いからはじまったのだそうです。でも京都では立ち食いは普通でない。小さい時から「そんなことをしてはいけない」と厳しく躾けられて育つ。いまは、そんなことを言って子供を躾けないのかなぁ・・・。大体年寄りと一緒に暮らさないから、そういう躾はできない。しかも、昨今では保育園に預けて子供を育てるのが当たり前みたいになったしね。
↑三条河原町にあるアーケード
それと京都駅でビックリするのが外人も日本人も平気で道路に座るのを見ることです。もっとひどいのは、そのあたりで買った食べ物を食べていたりする。前記の歩きながら食べるよりはましなんやろか?でも地べたにおっちんしているのはねぇ・・・。
↑上を見ると看板のワニ
市バスや電車の中で、若い女性が鞄からおにぎりを取りだし食べ、そして化粧をする。揺れる市バスの中で器用だとは思うけど、人の前では舞台裏を見せない方がいいように思います。世阿弥が『風姿花伝』で「秘すれば花なり」と言っているのになぁ・・・。
↑よく見ると龍のようです。この写真を見るとワニに見えませんか?
↑こう見ると龍ですね。
市バスに乗って窓から風景を眺めていると「なんて汚い街や」と感じる。
色彩の規制がちゃんとしていないのかな?看板が派手、コンビニが多すぎ、自動販売機、病人が多いのか薬局がやたら多い、なんでこんな店でと思う場所で行列、美しくないですね。
そろそろ、京都市もなんとかしないといけませんね。
その内、観光客から総スカンをくうかもしれませんよ。
「京都というブランドに憧れてきたけど、来てガッカリした」といわれるかも。
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国宝 [風景]
↑京都国立博物館入り口近辺、ここでチケットを買わない方がいいかも。チケットを買うのに行列も考えられますからね。
昨日も暑かった!
もう十月中旬なのに・・・。
今日から秋らしい気温になるようらしい。
外出する時の服装が難しい。
昨日も汗をかいてしまった。
↑人の行列が・・・
昨日の事情で歯科医院に通わないと行けなくなった。
行くために、京都国立博物館の前を通ります。
そういえば、特別展覧会「国宝」を開催している。
他府県の方が行くと行っていたのを思い出す。
少し覗いてみました。
この「国宝」を見るためには、入館料(一般1,500円)が必要なんだそうです。
ちょっと高いけど仕方ないのか。ヨーロッパの国立博物館なら無料というのが多いけどなぁ・・・。
↑これで館内に入れます。
入場券を買う所は、それほど人が多くなかったけど、入ると予想通りの行列。
館内に入るのに1時間はかかるそうです。
館内に入ってから展示の所まで30分ぐらい待つのだそうです。
昨日は暑かったから、行列が大変だろうな。
↑館内にも行列が・・・しかも動いてない。
出口の所で、見知らぬ昔のお嬢さんから話しかけられた。
昔のお嬢さん「ご覧になったの?時間はどれぐらいかかったのですか?」
京男「本日は、通り抜けただけなんです。おそらく展示のところまで1時間半はかかりますね」
昔のお嬢さん「この展示、全部国宝なの?」
京男「それは、ないと思います。何にはなんちゃって国宝もあるかも」
昔のお嬢さん「それにしても人が多いですね」
京男「いつもこんなものです。日本人はブランドに弱いです。審美眼が弱いから、国宝なら間違いないてなもんなんでしょうね。それとかこれは高価だからいいとか、訳のわからない烏合の衆。だから何がいいのかわかっていない。展示物は全部印刷やコピーでも誰も気付かないかもしれませんね」
なんて喋っておりました。
↑さて次のお座敷へ
そして、出口から立ち去りました。
歯科医院に向かいました。
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