このもと社? [社寺]
今日も新日吉神宮(いまひえじんぐう)です。
この神社から東に行くと豊国廟に行くのです。
かなり関係があるようですね。
先日の引用した文章を再度掲載します。
豊国社が廃絶されてからはその御神体は妙法院で密かに祀られていたのであるが、江戸時代の中頃からは新日吉社で祀られていた。しかし、天明5年(1785年)にその御神体を祀るために新たに樹下神(十禅師、鴨玉依姫神)を勧請して樹下社(このもとのやしろ、現在は豊国神社と改称)が創設されている。
これらのことから新日吉社の再建は、実は「豊国神社の復活」ではなかったかとの見方もある。このような説が生まれる背景には、秀吉の元姓が「木下」(樹下に通ずる)、また幼名が「日吉丸」(日吉社に通ずる)と符合する点があるからである。
1897年(明治30年)、豊臣家ゆかりの旧大名家によって豊国廟が再興されることとなり、当社はその参道上にあったために社地を南西の現在地に移すこととなり、移転した。
↑実際につこたはる人がいてはるのかな?
江戸時代には、秀吉関係の神社やお寺は密かに引き継いでいたようです。
明治になるまで。
↑神猿
↑外に逃げんようにか、外部の猿のような人間から守るためか・・・檻に入っています。
京都市内の社寺には、こういう由来が多くありますね。
↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事と新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
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